アンチ巨人
アンチ巨人(アンチきょじん)、アンチ巨人ファン(アンチきょじんファン)とは、日本のプロ野球球団(セントラル・リーグ所属)・読売ジャイアンツ(通称「巨人」)を嫌う人たちの総称である。
概要
編集1960年代から2000年代
編集「アンチ巨人」という表現は、既に1960年代には新聞や雑誌で使われていた。例えば1962年の『宝石』誌[1]に掲載された作家の戸板康二の特集記事には、「テレビを買ってから大のプロ野球ファンとなった戸板さんは、アンチ巨人派の有力なメンバーの一人。ジャイアンツと戦っているチームは、どこであろうと応援するそうである」[1]との記述がある。作家の山口瞳は、1964年の『漫画読本』誌で発表した「アンチ巨人軍論」という随筆[2]で「野球のわかる、ほんとに野球の好きな人にアンチ巨人が多い」と述べた上で、プロ野球界には強い巨人の存在が不可欠だと主張している[2]。また山口は1965年の『小説新潮』誌の随筆[3]でも「アンチ巨人」という言葉を使い、目先の勝利しか考えない見苦しい試合運びは巨人にふさわしくないと注文をつけている[3]。大洋ファンだった評論家の山田宗睦は、1964年の『朝日新聞』コラムで、反権威・反権力を自負する者の多い知識人層にはアンチ巨人が多いが、中にはもう一ひねりして「アンチ・アンチ巨人」になる者も出てきたようだという意味のことを述べている[4]。作家の北杜夫は、1965年の『週刊読売』(巨人の親会社である読売新聞社が発行)の野球観戦記の中で、自身が阪神ファンであり、かつアンチ巨人でもあることを表明している[5]。戦前からの巨人ファンだった文芸評論家の巖谷大四は、1965年の『中央公論』に掲載された随筆で、「巨人、大鵬、卵焼」という言葉には巨人ファンを幼稚だと侮蔑する含みが感じられるとして不快感を示し、アンチ巨人の大部分はごく最近プロ野球を見るようになった層であろうとの私見を述べている[6]。
江川事件(空白の一日)など選手の入団に関するトラブルが度々発生したことも、アンチ巨人を増加させる要因となった。渡邉恒雄オーナー(当時)が球団経営に関わるようになった1990年代以降、希望入団枠制度やフリーエージェント制度が導入され、以前よりも希望球団入りが容易になった。これらの制度を活用し、巨人以外にドラフト指名された選手が「巨人以外は拒否」という姿勢を取ったり、フリーエージェントで巨人への移籍を希望する選手が増えた。このためアンチ巨人の間では、この制度改革は経済力や人気を利用した巨人のためのものであると批判されている。
2000年代以降
編集2000年からサッカー人気に代表されるスポーツ嗜好の多様化、国内選手のメジャーリーグ行きなどがあり、プロ野球の人気も次第に低下して行く。2004年に起きた球界再編問題では渡邊オーナーが「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と暴言を吐いたことや一場事件などの不祥事もあり、批判の対象は巨人のみならず、プロ野球(特にセ・リーグ)に対する運営方針の不明瞭さへと変わり、野球人気の低下に拍車をかけることとなった。この騒動以降、巨人戦の中継は視聴率が低下。地上波での中継は大幅に削減されるようになった[7]。また巨人自体も先述した補強をしても成績が伸び悩んだことや、パ・リーグの人気上昇やドラフト会議における逆指名制の廃止、アマチュア選手側の意識の変化等もあり、有力選手が巨人入りしなくなっていった。
『週刊ベースボール』(2015年12月28日号)で掲載されたコラムでは『アンチ巨人絶滅論』について触れており、「アンチ巨人は巨人は嫌いだといいながら巨人のことに詳しかった。好き”の反対は“嫌い”ではなく“無関心”だという言葉に説得力を持たせてくれたのが、アンチ巨人という存在だった。今、そういう人は激減している。同時に野球に対して、そして巨人に対して無関心な人が増えてしまった。」と評している[8]。
アンチ巨人に関する調査研究
編集NHK放送世論調査所(後にNHK放送文化研究所と合併[9])が1979年に行った調査によれば、巨人以外の球団のファンのうち、アンチ巨人の割合が高いのは男性の13-49歳の年齢層である[10]。また高学歴になるほどアンチ巨人の割合が増える傾向にある[10]。
関西国際大学教授で、産業心理学・社会心理学・統計学が専門の広沢俊宗らが2004年に行った調査によると、巨人を除く11球団のファンの半分以上が巨人を嫌う傾向がある[11]。この傾向はパ・リーグ6球団のファンよりもセ・リーグ5球団のファンに強く見られ、中でも阪神ファンの約8割は巨人が嫌いだと回答した[11]。
アンチ巨人用語
編集アンチ巨人の間で用いられる表現に「ドームラン」・「ジャンパイア」などがある。
「ドームラン」とは東京ドームでみられる特有のホームランでドームとホームランをかけ合わせた造語。元々は巨人攻撃時に空調を意図的に操作して生まれたとされるホームランを指していたが、他球団の移転や改修に伴って東京ドームが左中間・右中間が最も狭い本拠地球場となってからは、外野フライかと思われる打球がスタンドギリギリで入ってしまうホームランも指すようになる。巨人OBの桑田真澄が阿部慎之助のホームランを「ドームラン」と評したこともある[12]。
「ジャンパイア」とは巨人に有利な判定をするとされる審判を指すジャイアンツとアンパイアをかけ合わせた造語。
また、有力選手がFAなど選手の意向が一定以上働く形で巨人に移籍した際に、選手に対しては旧所属球団のファンから「裏切り者」[13]、巨人に対してはアンチ巨人から「強奪」[14]と中傷されることがよくみられる。
アンチ巨人・元アンチ巨人の有名人
編集(■は故人)
- ■河上丈太郎(衆議院議員、日本社会党元委員長) - 没後の記念出版に元秘書が寄稿した文章によると、野球好きの河上は「特定の贔屓チームはなく、ただ例外はアンチ巨人」であったという[15]。
- ■山口瞳 - 「アンチ巨人軍論」という随筆を発表する[2]などアンチ巨人として知られた。ただし「巨人が弱ければ喜ぶ」というわけではなく、プロ野球は巨人中心であるとして球界の盟主たる強さと品格とを巨人に求め[2][3][16]、勝利を義務付けられたチームである巨人を他チームが打ち負かすことでペナントレースが盛り上がると考えていた[2]。
- ■北杜夫 - 阪神ファンかつアンチ巨人であることを公言していた[5]。
- 桑田佳祐(サザンオールスターズ) - 自身のレギュラー番組であった『桑田佳祐の音楽寅さん』で巨人批判の歌を歌ったり、著書などで[17]度々アンチ巨人であることを語っているが、長嶋茂雄に関しては「プロ野球で一番イイ男は長嶋茂雄」[18]と言う程敬愛しており、長嶋をイメージした「栄光の男」が制作されている。
- ■大鵬(第48代横綱) - 当時の子供たちの好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語は、当時の大鵬の人気と知名度を象徴する有名な言葉であるが、大鵬本人は「巨人と一緒にされては困る」と語ったことがあり、その理由の一つは自身がアンチ巨人だったことである。ただし、巨人の選手の中でも、自身と共通する典型的な努力家タイプの王貞治とは例外的に親しい間柄であった。また、大鵬は王と同じく1940年5月生まれでもあった。
- ■安倍晋三(元内閣総理大臣、元自民党総裁、サンケイアトムズ=現:ヤクルトファン) - 第2次政権発足から4か月後の2013年5月5日「巨人対広島」戦(東京ドーム)試合前に行われた長嶋・松井秀喜の国民栄誉賞の授賞セレモニーで「長嶋さんの演じた数々のメークドラマ、アンチ巨人だった私も手に汗握りながら、ラジオの前で耳を傾けていました」と発言[19]。また、2015年4月8日の参議院予算委員会の答弁で、「堀内(恒夫)さんの現役時代はアンチ巨人だった」と発言した[20][21]。
- ■工藤壮人(元プロサッカー選手、阪神ファン)[22][23]
- 有吉弘行(お笑いタレント、広島ファン)[24] - 日本テレビの深夜枠で放送された冠番組『有吉×巨人』(2019年 - 2020年)でMCを務めている[24](同番組では巨人ファンゲストのプレゼンや巨人関連の情報全てに対し、有吉がアウト判定をするのが名物)。
- オール巨人(漫才師、オール阪神・巨人) - 芸名とは真逆で、熱烈な阪神ファンとして有名である。そもそもコンビ名の「オール阪神・巨人」とは、桂三枝(現・6代目桂文枝)が、相方の阪神との極端な身長差から「半身・巨人」を「阪神・巨人」に引っかけたギャグとして命名したもの。
- 宮本慎也 - 以前は巨人ファンだったが、ヤクルトに入団した際に当時監督だった野村克也から「巨人は敵だぞ」と教えられるうちにアンチ巨人となった。それ以降は、入団してきた外国人選手たちに「巨人は敵だ」と教えている[要出典]。ただ、宮本に巨人を敵と教えてきた野村も、幼少期は巨人ファンで川上哲治に憧れていたという[25]。
脚注
編集- ^ a b 「ある作家の周囲 その18 戸板康二篇」『宝石』17巻14号(昭和37年11月号)、宝石社、1962年11月、108頁。
- ^ a b c d e 山口瞳「アンチ巨人軍論」『草野球必勝法』実業之日本社、1977年、86-92頁。/「アンチ巨人軍論」『草野球必勝法』文芸春秋社〈文春文庫〉、1983年、88-94頁。ISBN 4-16-712306-1。(初出は『漫画読本』1964年3月号)
- ^ a b c 山口瞳「巨人軍を叱る」『昭和プロ野球徹底観戦記』河出書房新社、2012年、101-104頁。ISBN 978-4-309-02088-4。(初出は『小説新潮』1965年8月号)
- ^ 山田宗睦、「巨人びいきと知識人 一つのAA(アンチ・アンチ)風潮」、朝日新聞、1964年9月27日(日)、朝刊11面。
- ^ a b 北杜夫、「後楽園第一戦 どくとる・まんぼう『観戦記』――アンチ巨人作家の"ブラリ敵情視察"」、『週刊読売』第24巻第19号、1965年4月、12-17ページ。
- ^ 巖谷大四、「巨人、大鵬、卵焼」、『中央公論』第80巻12号、1965年12月、371-372ページ。
- ^ かつて多かった「アンチ巨人」 減少してしまった数々の理由 NEWSポストセブン 2016年2月5日
- ^ 「アンチ巨人」は死語? 「くたばれ讀賣」禁止運動も NEWSポストセブン 2016年2月5日
- ^ “NHKの世論調査について - 沿革”. NHK放送文化研究所. 2019年7月17日閲覧。
- ^ a b NHK放送世論調査所 編「プロ野球への熱狂」『NHK世論調査資料集 : 資料と分析 第3集(昭和54年4月-昭和57年3月)』NHKサービスセンター、1983年3月、354-357頁。
- ^ a b 広沢俊宗、小城英子「プロ野球ファンに関する研究 (I) : 阪神ファンと巨人ファンの比較」『関西国際大学地域研究所叢書』2号、関西国際大学、2005年3月、3-18頁、2022年9月2日閲覧。
- ^ “当たり損ねフライがなぜかホームラン 巨人元エース桑田が「ドームラン」認めた?”. J-CASTニュース. (2013年3月13日19時44分) 2016年1月19日閲覧。
- ^ “丸の巨人移籍でおさまらない広島ファンの怒り! 「裏切り物」「金の亡者」などネット炎上 ユニホームも投げ売り“赤い雑巾”呼ばわり”. zakzak. (2018年12月5日) 2021年12月3日閲覧。
- ^ “中日が “助っ人貧乏” 巨人のビシエド強奪を猛警戒! 「条件面では太刀打ちできない」の弱音も”. 東スポweb. (2021年10月02日05時15分) 2021年12月3日閲覧。
- ^ 土肥実 著「野球と先生と私」、河上前委員長記念出版委員会 編『河上丈太郎:十字架委員長の人と生涯』日本社会党機関紙局、1966年、258-259頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)
- ^ 二宮清純 (2012年2月17日). “昭和プロ野球徹底観戦記 山口瞳著 「盟主」巨人の覚悟問う”. 日本経済新聞. 2020年7月18日閲覧。
- ^ 桑田佳祐 『素敵な夢を叶えましょう』 1999年、角川書店、P156
- ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p215)
- ^ 安倍首相 長嶋氏を前に「アンチ巨人」発言2013年5月5日 東スポWEB
- ^ 参議院予算委員会議事録:2015(平成27)年4月8日、国会会議録検索システム、2017年11月18日閲覧。
- ^ “「憎たらしくもすごい投手」 アンチ巨人の首相が“初登板”の堀内氏に答弁”. 産経ニュース. (2015年4月8日14時39分) 2016年1月19日閲覧。
- ^ 虎党の柏・工藤、阪神とのW優勝誓った - デイリースポーツ 2012年1月31日)
- ^ 柏・工藤「アンチ巨人なので楽天に勝ってほしい」/ナビスコ杯 - サンケイスポーツ 2013年11月2日
- ^ a b 『広島ファンの有吉、巨人応援番組MC就任も「ジャイアンツだけ嫌い!」』2019年3月27日/オリコンニュース
- ^ 野村克也「新聞配達をしながら、一生貧乏と戦う覚悟をしていた…」なぜノムさんは“シダックス時代が一番楽しかった”と振り返ったのか? - NumberWeb、2022年6月2日。
関連書籍
編集- 『アンチ巨人読本』(畑田国男と嫌巨会、1982年、大陸書房。のち角川文庫に収録)
- 『アンチ巨人狂本』(畑田国男と嫌巨会、1983年、角川文庫)
- 『アンチ巨人は永久に不滅です!!』(「金権巨人」からプロ野球を守る会、2001年、双葉文庫 - ISBN 9784575711851)
- 『巨人軍非栄光の歴史』(石川隆太郎、1996年、新評論)スタルヒン入団、別所引抜き、江川問題など、巨人軍がプロ野球の歴史の中に記した負の部分を検証する。