アンソニー・スピネリ
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アンソニー・スピネリ(Anthony Spinelli(本名サミュエル・ウェインスタイン Samuel Weinstein)、1927年2月21日 - 2000年5月29日[1])は、アメリカ合衆国のポルノ映画監督。オハイオ州クリーブランド出身。
アンソニー・スピネリ Anthony Spinelli | |||||
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本名 | Samuel Weinstein | ||||
別名義 |
監督として Sam Weston、 Wes Brown、 Arvid Bellar、 Leonard Burke、 Jack Armstrong、 Sybil Kidd、 Wendy Lions、 Btrambare 俳優として George Spelvin、 M Hastings | ||||
生年月日 | 1927年2月21日 | ||||
没年月日 | 2000年5月29日(73歳没) | ||||
出生地 | アメリカ合衆国・オハイオ州クリーブランド | ||||
死没地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス | ||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||
民族 | コーカソイド | ||||
職業 | 映画監督 | ||||
ジャンル | ハードコアポルノ | ||||
配偶者 | ロザリンド(Rosalind) | ||||
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人物
編集1970年代初めから1980年代中期にかけてのいわゆる「ポルノの黄金時代」から1990年代まで活躍した、ポルノ界を代表する監督の1人である。功績が認められ、AVN殿堂・XRCO殿堂双方のメンバーとなった[2][3]。また作品の多くがXRCO殿堂入りしている[3]。彼は自らの監督作品や息子の監督作品の何作かにジョージ・スペルヴィンなどの変名で、俳優としてちょい役で出演している(性行為のシーンはない)[4][5]。
実兄は『暗くなるまで待って』のカルリーノ役などで知られる、俳優のジャック・ウェストン (Jack Weston) である[1]。またポルノ映画監督ミッチ・スピネリと脚本家のアンソニー・スピネリ・Jr.は彼の息子である[1]。
スピネリは2000年5月29日(30日とする記述もある[6])、カリフォルニア州ロサンゼルスにて肺炎による合併症で死去した[1][7]。
主な監督作品
編集- 1974年 - 『姦婦絶叫 (The Seduction of Lyn Carter)』
- 1976年 - 『スペシャル・ボディー (Cry for Cindy)』
- 1977年 - 『ヒップ・アップ/欲情 (Expectations)』
- 1978年 - 『女教師/ハード・バック・エロ (Easy)』†
- 1978年 - 『セックス・ワールド (SexWorld)』†
- 1980年 - 『いんらんパフォーマンス/咥える (Aunt Peg)』
- 1980年 - 『私に汚い言葉を云って (Talk Dirty to Me)』†
- 1981年 - 『スキン・オン・スキン/乱色 (Skin on Skin)』
- 1981年 - 『The Dancers』†
- 1981年 - 『先天性アクメニアン (Nothing to Hide )』
- 1981年 - 『エログランプリP.T.A. (Vista Valley P.T.A.)』
- 1981年 - 『セクシャルガール/乱れた花園 (Aunt Peg's Fulfillment)』
- 1983年 - 『ハリウッド・スキャンダル/悦楽の昼と夜 (Dixie Ray Hollywood Star)』†
- 1984年 - 『調教実験/アマチュア・スペシャル (Reel People)』†
- 1987年 - 『もう一度汚い言葉を言って (Talk Dirty to Me One More Time 2)』
- 1988年 - 『ミッドナイト・エロス/奥に溺れて (Hands Off)』
- 1989年 - 『セックスと妻とエロトマニア (Adultery)』
- 1992年 - 『ハードコア・パーティ (The Party)』
†はXRCO殿堂入り映画[3]。
受賞
編集- 1980年 CAFA 最優秀監督賞 『私に汚い言葉を云って (Talk Dirty to Me)』[8]
- 1981年 AFAA 最優秀監督賞 『先天性アクメニアン (Nothing to Hide )』[8]
- 1983年 CAFA 最優秀監督賞 『ハリウッド・スキャンダル/悦楽の昼と夜 (Dixie Ray Hollywood Star)』[8]
- 1984年 AFAA 最優秀監督賞 『ハリウッド・スキャンダル/悦楽の昼と夜』[8]
- 1985年 AVN 最優秀監督賞(映画) 『ハリウッド・スキャンダル/悦楽の昼と夜』[9]
- 1993年 AVN 最優秀監督賞(ビデオ) 『ハードコア・パーティ (The Party)』[9](アレックス・デレンジーと分けあった)
脚注
編集- ^ a b c d IMDbによる略歴
- ^ “AVN殿堂入りメンバー” (英語) 2008年8月11日閲覧。
- ^ a b c “XRCO殿堂入りメンバー” (英語) 2008年8月11日閲覧。
- ^ iafd、俳優としての出演作リスト
- ^ afdb、俳優としての出演作リスト
- ^ iafdによる略歴
- ^ rame.net、亡くなったポルノスターのリスト
- ^ a b c d “Rame awards list” (英語) 2008年8月11日閲覧。
- ^ a b “Past AVN Award Winners” (英語) 2008年8月11日閲覧。