アレクシー・ララス
アレクシー・ララス(Alexi Lalas)ことパナヨティス・アレクサンダー・ララス(Panayotis Alexander Lalas, 1970年6月1日 - )は、アメリカ・ミシガン州出身の元サッカー選手、ミュージシャンである。サッカー選手としてはポジションはDFを務め、中心選手として90年代のアメリカ代表を支えた。赤毛の長髪と顎髭という独特な風貌、そして堅実かつ剛健な守備ぶりで広く人気を博した。引退後はアメリカサッカー殿堂(en:National Soccer Hall of Fame)入りするなど、アメリカにおいては偉大なサッカー選手の一人として知られるが、現役時の本人はむしろミュージシャンと自認していた。
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名前 | ||||||
本名 |
パナヨティス・アレクサンダー・ララス Panayotis Alexander Lalas | |||||
ラテン文字 | Alexi LALAS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1970年6月1日(54歳) | |||||
出身地 | バーミングハム | |||||
身長 | 191cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1988-1991 | ラトガーズ大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1996 | パドヴァ | 44 | (3) | |||
1996-1997 | ニューイングランド・レボリューション | 57 | (3) | |||
1997 | → エメレク (loan) | 10 | (0) | |||
1998 | メトロスターズ | 25 | (2) | |||
1999 | カンザスシティ・ウィザーズ | 30 | (4) | |||
2001-2003 | LAギャラクシー | 69 | (7) | |||
通算 | 235 | (19) | ||||
代表歴 | ||||||
1992 | アメリカ合衆国 五輪 | 4 | (0) | |||
1991-1998 | アメリカ合衆国 | 96 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集ララスは幼少期にギリシャ系の父からサッカーを教わった。大学ではラトガーズ大学を1989年のNCAAサッカー選手権(en:NCAA Men's Soccer Championship)の準優勝に導いた。
1994年から1996年までの間、セリエAのパドヴァでプレーした。ララスは米国籍で初めてセリエAでプレーした選手となり、ACミランとの対戦でセリエA初得点にしてアメリカ人選手としてのセリエA初得点を決めた[1]。この年チームはプレーオフの末に何とかセリエA残留を果たした。1995年には全米サッカー最優秀選手(en:U.S. Soccer Athlete of the Year)を受賞。
1996年アメリカに帰国しメジャーリーグサッカー(MLS)に参加。ニューイングランド・レボリューション(1996年-1997年)、NY/NJメトロスターズ(1998年)、カンザスシティ・ウィザーズ(1999年)に所属した。1999年シーズン終了後、一旦は現役引退を表明したが、2001年に現役復帰、ロサンゼルス・ギャラクシーに入団、2002年にはMLSカップ(en:MLS Cup)で優勝、MLSベストイレブン(en:MLS Best XI)に選ばれた。2001年2月には来日し、ギャラクシーの一員として浦和レッドダイヤモンズと親善試合で対戦した。
アメリカ代表としては1990年5月6日、カナダ戦で初キャップ。90年代の中核を担い、96のキャップと9ゴールを記録。オリンピックとワールドカップにもそれぞれ2度ずつ出場した。特に自国開催の94年ワールドカップでは、優勝候補のコロンビアに勝利するなど守備の要としてベスト16進出に貢献、その活躍が認められ欧州へ移籍、米国人初のセリエA選手となった。98年フランス大会では出場の機会はなかったものの、テレビ中継映像でカメラを囃し立てるような叫び声を上げるなど、ベンチにいながら存在感を示している。
2003年、改めて現役引退。サンノゼ・アースクエイクスのゼネラル・マネージャー(GM)に就任。2005年にはメトロスターズのGMとして招かれたが、球団の売却に伴い辞任。2006年からはロサンゼルス・ギャラクシーのGMを務めている。
一方でララスは、ミュージシャンとしても活動している。ロックバンド「ジプシーズ」(The Gypsies、スリランカ出身の同名バンドen:The Gypsiesとは異なる)や「ネクター・ドロップ」(Nectar Drop)を結成し、ギタリスト兼ボーカリストとして活躍した。ジプシーズではCDを3枚リリースし、1998年にはヨーロッパツアーを敢行するなど、各地でライブを行っている。この頃の彼自身はサッカー選手としてよりもむしろミュージシャンを自認していたようである。
それを物語るエピソードとして、イギリスのサッカー情報番組「フットボール・ムンディアル」でララスを特集した際、彼はサッカー場ではなくスタジオでインタビューを受ける、「これまで一番の思い出」にライブシーンを語る、そしてインタビュアーから「ボールとギター、どちらを選ぶか」と問われた彼は間髪入れずに「そりゃギターさ、ボールは一生蹴り続けられないけど、ギターは一生の友達だろ?」と答える、といったさながら「MTV」のようなインタビューをあげることができる。1999年に現役引退を表明した際も、「音楽活動専念」を理由に挙げていた。もっともこの時の引退生活ではESPNなどでスポーツ解説者としても活動しており、今日でもクラブ経営の傍らテレビを賑わしている。
所属クラブ
編集- ラトガーズ大学(NCAA)?-1991
- パドヴァ 1994-1996
- ニューイングランド・レボリューション(MLS)1996-1997
- CSエメレク 1997
- NY/NJメトロスターズ(MLS)1998
- カンザスシティ・ウィザーズ(MLS)1999
- ロサンゼルス・ギャラクシー(MLS)2001-2003
代表歴
編集受賞歴
編集- ミズーリ州体育協会年間最優秀選手賞(en:Missouri Athletic Club Player of the Year Award、現ハーマン賞(en:Hermann Trophy)1991
- 全米サッカー最優秀選手賞(en:U.S. Soccer Athlete of the Year)1995
- MLSベストイレブン: 2002
ディスコグラフィー
編集いずれも「ジプシーズ」(The Gypsies)名義
- Woodland (?)
- Jet Lag (?)
- Ginger (1998)
出典
編集- ^ “Lalas Goal Helps Sink AC Milan”. LAタイムズ. 2022年3月4日閲覧。
外部リンク
編集- UsSoccerPlayers.comに掲載のプロフィール(英語)
- アレクシー・ララス (@AlexiLalas) - X(旧Twitter)
- アレクシー・ララス – FIFA主催大会成績