アレクサンドル・ハンジョンコフ
アレクサンドル・アレクセイエヴィチ・ハンジョンコフ(ロシア語: Александр Алексеевич Ханжонков, 1877年8月8日 - 1945年9月26日)は、ロシア帝国(現在のロシア)の映画プロデューサー、実業家、映画監督、脚本家である。ロシア映画界の最初の起業家であり、ロシア初の長篇劇映画を製作したことで知られる。
Aleksandr Khanzhonkov アレクサンドル・ハンジョンコフ | |
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本名 |
アリェクサンドル・アレクセイエヴィチ・ハンジョンコフ (Александр Алексеевич Ханжонков) |
別名義 |
A・チャンションコフ (A. Chanshonkov) |
生年月日 | 1877年8月8日 |
没年月日 | 1945年9月26日(68歳没) |
出生地 |
ロシア帝国(現 ウクライナ) ドネツィク州ハンジョンコヴォ |
死没地 |
ソビエト連邦(現 ウクライナ) クリミア半島ヤルタ |
国籍 | ロシア帝国 ⇒ ソビエト連邦 |
職業 | 映画プロデューサー、実業家、映画監督、脚本家 |
ジャンル | サイレント映画 |
活動期間 | 1908年 - 1918年 |
活動内容 |
1908年 映画を製作 1911年 映画を初監督 1918年 映画廃業 |
主な作品 | |
『セヴァストポリの防衛』 |
人物・来歴
編集1877年(明治10年)8月8日、ロシア帝国の片田舎、ドン川のほとり(現在のウクライナドネツィク州)にある小村ハンジョンコヴォで生まれる。
1906年(明治39年)、モスクワにハンジョンコフ商会を設立、1908年(明治41年)、自社で映画を製作し始める。1911年(明治44年)には、ロシア初の撮影所を有限会社として設立した。銀行家でありロシア帝国国家評議会議員であったイワン・オゼロフが主に出資した。同年、ロシア初の長篇劇映画『セヴァストポリの防衛』を、ワーシリー・ゴンチャロフと共同で自ら監督して、発表した。ラディスラス・スタレヴィッチ監督によるパペットのアニメーション映画も製作している。
おもなフィルモグラフィ
編集すべてプロデュース作品。
- 『モスクワ郊外のジプシー・キャンプでのドラマ』 Драма в таборе подмосковных цыган、1908年
- 『十六世紀ロシア式結婚』 Русская свадьба XVI столетия、1909年
- 『セヴァストポリの防衛』 Оборона Севастополя : 共同監督ワーシリー・ゴンチャロフ、1911年 - 監督・脚本
- 『映画カメラマンの復讐』 Месть кинематографического оператора : 監督ラディスラス・スタレヴィッチ、アニメーション映画、1912年
- 『死後』 После смерти : 監督エフゲーニー・バウエル、1915年
- 『瀕死の白鳥』 Умирающий лебедь : 監督エフゲーニー・バウエル、1917年
- 『革命家』 Революционер : 監督エフゲーニー・バウエル、1917年
- 『警鐘』 Набат : 監督エフゲーニー・バウエル、1917年
- Проект инженера : 監督レフ・クレショフ、1918年
関連事項
編集著書・関連書籍
編集- Ханжонков, А.А., Ранние годы русской анимации, Москва/Ленинград: Искусство, 1937
- Кузнецова, М., Александр Ханжонков. Жизнь за кадром, Москва: Профил, No.29., 1997
- Янгиров, Рашит, К биографии А.А. Ханжонкова: Новый ракурс, Москва: Киноведческие записки, No.55., 2001