アルフレッド・ドゥルーリー

イギリスの建築彫刻家(1856-1944)

(エドワード)・アルフレッド・ブリスコー・ドゥルーリー RA((Edward) Alfred Briscoe Drury、1856年11月11日 - 1944年12月24日)は、イギリスの建築彫刻家、ニュー・スカルプチュア・ムーブメントの主要人物[1][2]

ヴィクトリア&アルバート博物館のエントランス(ロンドン)
グリゼルダ(1897年)
「美術」を象徴する自分自身の像を持つ少女のブロンズ像(ロンドン、ヴォクスホール・ブリッジ

生涯

編集

1856年11月11日、ロンドンイズリントンに生まれる。フランス人のエドゥアール・ランテリ英語版ジュール・ダルーの下で学び、ダルーとは1881年から1885年にかけて共に仕事をした。その後ジョセフ・エドガー・ベーム英語版のアシスタントを務めた。

1910年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれ、1913年に正会員となった[2]。またインターナショナル・ソサエティ・オブ・スカルプター・ペインター・アンド・グレーバー(直訳: 国際塑像家画家彫刻家協会 (英語版) )のメンバーでもあった[3]

1944年12月24日、クリスマス・イブの日にドゥルーリーは亡くなった[1][4][5][6]

主な作品

編集

作品ギャラリー

編集

脚注

編集
  1. ^ a b “Alfred Drury, 88, British Sculptor. Londoner, Noted for Statue of Sir Joshua Reynolds, Dies. Works Seen by Millions”. New York Times. (December 25, 1944). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9F0DE1DA1739E23BBC4D51DFB467838F659EDE 2015年3月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d e Quinlan, p. 52.
  3. ^ The International Society of Sculptors, Painters and Gravers”. Mapping the Practice and Profession of Sculpture in Britain and Ireland 1851-1951. Glasgow University. 2015年11月21日閲覧。
  4. ^ Mapping the Practice and Profession of Sculpture in Britain and Ireland - 1851-1951”. sculpture.gla.ac.uk. 2015年11月21日閲覧。
  5. ^ Chamot, p. 157.
  6. ^ Mark Stocker, ‘Drury, (Edward) Alfred Briscoe (1856–1944)’, en:Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004年9月
  7. ^ City And County Of London Troops”. Imperial War Museums (iwm.org.uk). 2015年11月21日閲覧。
  8. ^ Co-op Changes Commence”. e-shootershill.co.uk (2012年1月23日). 2015年11月21日閲覧。

参考文献

編集
  • Mary Chamot, The modern British paintings, drawings, and sculpture, London, Oldbourne Press, 1965. OCLC 512918
  • Mark Quinlan, Sculptors and Architects of Remembrance, Sandy, Authors Online, 2007, ISBN 978-0755203-98-7.

外部リンク

編集