アルバート・サビン

アメリカの医学者(1906-1993)

アルバート・サビン(アルバート・セイビン[1]、Albert Bruce Sabin, [ˈsbɪn]1906年8月26日 - 1993年3月3日)は、アメリカ合衆国医学者で、経口ポリオワクチンの開発で知られる。

Albert Sabin
アルバート・セイビン
生誕 Abram Saperstejn
(1906-08-26) 1906年8月26日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ビャウィストク
(現ポーランドの旗 ポーランド
死没 1993年3月3日(1993-03-03)(86歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
市民権 ポーランドの旗 ポーランド(1930年まで)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 (1930年以降)
出身校 ニューヨーク大学
プロジェクト:人物伝
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生涯

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セイビンはロシア(現ポーランド)のビャウィストクユダヤ人の両親の下に生まれ、1921年に家族でアメリカ合衆国に移住した。1930年に帰化し、Abram SaperstejnからAlbert Bruce Sabinと改名した。

セイビンは1931年にニューヨーク大学で医学士号を取り、1931年から1933年にかけて、ニューヨークのベルビュー・ホスピタル・センター内科学病理学外科学について指導を受けた。1934年にイングランドリスター予防医学研究所で研究を行い、その後、ロックフェラー医学研究所(現在のロックフェラー大学)に移籍した。この時期に彼は感染症に強い興味を持って研究を行った.1939年にオハイオ州シンシナティのシンシナティ小児科病院医療センターに移籍した。第二次世界大戦中はアメリカ陸軍医療隊の中佐として、デング熱日本脳炎ワクチンの開発を行った。戦後はGHQの要請で日本脳炎の研究のため来日、佐々学が助手を務めた。

小児科病院での勤務を続けつつ、1946年にはシンシナティ大学の小児科部部長となった。

トキソプラズマ

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セイビンはトキソプラズマ症の初期の研究において重要な貢献をしている。1937年、頭痛や痙攣のため入院し脳炎で死亡した6歳男児の病理解剖で、脳からトキソプラズマが検出された。このときセイビンはポリオ感染を疑い脳組織の一部をマウスに接種しており、そこから樹立されたのが初のトキソプラズマ分離株であるRH株である(RHは男児のイニシャルに由来する)。またセイビンは1948年にトキソプラズマ抗体の検査法として信頼性の高い色素試験を開発している[2]

ポリオの研究

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ポリオの脅威が増大するに連れて、セイビンやジョナス・ソークヒラリー・ コプロフスキーらは病気を予防、緩和するワクチンの探索を始めた。1955年、ソークの死菌ワクチンが実用に供された。これはポリオの合併症の予防に効果的だったが、最初の感染は防げなかった。セイビンは、1954年末に最初の経口弱毒化生ワクチンの試験を行った。1956年から1960年にかけて、彼はロシア人の同僚と経口ワクチンを完成させるための研究を行い、その効果と安全性を証明した。セイビンのワクチンは、腸に働いてポリオウイルスが血管に入るのを阻止する。セイビンは、ポリオウイルスが腸内で増殖し、攻撃するのを発見した。経口ワクチンはポリオの伝播を阻止し、将来的なポリオ根絶の可能性を示した。

1955年から1960年にかけて、ポリオワクチンはソビエト連邦東ヨーロッパの一部、シンガポールメキシコオランダ等で少なくとも1億人以上の人にテストされ、1960年4月にアメリカ合衆国で初めてシンシナティの18万人の児童に大規模接種された。セイビンらが開発した大量接種法により、シンシナティでは効率的にポリオが根絶された。「セービン日曜日(Sabin Sundays)」はアメリカ全土で日曜日に実施された任意予防接種プログラムで、何百万人もの子どもたちが液体ポリオワクチンを混ぜた角砂糖を口に投与された[1][3]

死菌ワクチンを支援していた小児麻痺救済基金の反対にあったが、セイビンは3株のワクチンを承認させるためにアメリカ公衆衛生局(CDC)を説得した。公衆衛生局では行き詰まっていたが、ソビエト連邦は、日本等のポリオが蔓延している地域に大量の経口ワクチンを送り、人道主義に貢献した。ワクチンにはアメリカ合衆国の基金等が用いられたが、一般のアメリカ人には行き渡らなかった[要出典]

セイビンはソークの不活化ワクチンの使用に猛反対し、その使用を阻止しようとした。

セイビン(Sabin)の名は、ポリオ生ワクチンの別名「セービンワクチン(Sabin vaccine)」[4]、不活化ポリオワクチンの「セービン株(Sabin-derived IPV)」[5]、に観られる。

晩年

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1970年からイスラエルのワイツマン科学研究所に勤務し、1974年にはアメリカ国立癌研究所を経て、サウスカロライナ大学医学部で教鞭を執るなど、精力的に働いた。しかし、1983年にセイビンは頸椎の硬化症に罹り、麻痺と激痛に襲われるようになった[6] [7]キース・オルバーマンによると、セイビンはテレビのインタビューで、残りの人生を痛みの軽減のために使うことを決意したと語っている[8]

1993年にワシントンD.C.で亡くなった。

受賞など

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出典

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  1. ^ a b アメリカはいかにしてポリオとの闘いに勝利したか”. アメリカン・ビュー(アメリカ大使館) (2020年5月18日). 2020年8月25日閲覧。
  2. ^ Jitender P. Dubey (2013). “The history and life cycle of Toxoplasma gondii”. In Louis M. Weiss. Toxoplasma gondii (2nd ed.). Academic Press. pp. 1-17. ISBN 978-0-1239-6536-3 
  3. ^ Sabin Sunday, 1960”. UC Magazine(Unicersiti of Cincinnati). 2020年8月25日閲覧。
  4. ^ セービンワクチン コトバンク(デジタル大辞典)
  5. ^ 染谷雄一,清水博之「2. ポリオワクチンとポリオウイルスのバイオリスク管理」(PDF)『ウイルス』第68巻第1号、日本ウイルス学会、2018年、31-40頁。 
  6. ^ Philip Boffey, Sabin, Paralyzed, Tells of Death Wish. In the New York Times, November 27, 1983.
  7. ^ Ezra Bowen, The Doctor Whose Vaccine Saved Millions from Polio Battles Back from a Near-Fatal Paralysis. In People, July 2, 1984.
  8. ^ Health Care; The Fight Against Death. Special comment by Keith Olbermann on Countdown, 2009-10-07.
  9. ^ USPS press release.
  • Saldias G, Ernesto (December 2006). "Centennary of Albert B. Sabin MD birthdate". Revista chilena de infectologia : organo oficial de la Sociedad Chilena de Infectologia. 23 (4): 368–369. PMID 17186087
  • Smith, Derek R; Leggat Peter A (2005). “Pioneering figures in medicine: Albert Bruce Sabin--inventor of the oral polio vaccine”. The Kurume medical journal 52 (3): 111?6. doi:10.2739/kurumemedj.52.111. PMID 16422178. 
  • Emed, A (April 2000). “[Albert B Sabin (1906-1993)]”. Harefuah 138 (8): 702?3. PMID 10883218. 
  • Chanock, R M (March 1996). “Reminiscences of Albert Sabin and his successful strategy for the development of the live oral poliovirus vaccine”. Proc. Assoc. Am. Physicians 108 (2): 117?26. PMID 8705731. 
  • Dalakas, M C (May 1995). “Opening remarks. On post-polio syndrome and in honor of Dr. Albert B. Sabin”. Ann. N. Y. Acad. Sci. 753: xi-xiv. PMID 7611615. 
  • Beumer, J (1994). “[Academic eulogy of Professor Albert Bruce Sabin, foreign honorary member]”. Bull. Mem. Acad. R. Med. Belg. 149 (5-7): 220?4. PMID 7795544. 
  • Horaud, F (December 1993). “Albert B. Sabin and the development of oral poliovaccine”. Biologicals 21 (4): 311?6. doi:10.1006/biol.1993.1089. PMID 8024745. 
  • Melnick, J L; Horaud F (December 1993). “Albert B. Sabin”. Biologicals 21 (4): 297?303. doi:10.1006/biol.1993.1087. PMID 8024743. 
  • “Homage to Albert Sabin”. Biologicals 21 (4): 295?384. (December 1993). PMID 8024742. 
  • Newsom, B (June 1993). “In memoriam: Albert B. Sabin, M.D., 1906-1993”. Journal of the South Carolina Medical Association (1975) 89 (6): 311. PMID 8320975. 
  • Grouse, L D (April 1993). “Albert Bruce Sabin”. Journal of the American Medical Association 269 (16): 2140. doi:10.1001/jama.269.16.2140. PMID 8468772. 
  • Koprowski, H (April 1993). “Albert B. Sabin (1906-1993)”. Nature 362 (6420): 499. doi:10.1038/362499a0. PMID 8464487. 
  • Sabin, A B; Ramos-Alvarez M, Alvarez-Amezquita J, Pelon W, Michaels R H, Spigland I, Koch M A, Barnes J M, Rhim J S (June 1984). “Landmark article Aug 6, 1960: Live, orally given poliovirus vaccine. Effects of rapid mass immunization on population under conditions of massive enteric infection with other viruses. By Albert B. Sabin, Manuel Ramos-Alvarez, Jose Alvarez-Amezquita, William Pelon, Richard H. Michaels, Ilya Spigland, Meinrad A. Koch, Joan M. Barnes, and Johng S. Rhim”. Journal of the American Medical Association 251 (22): 2988?93. PMID 6371279. 
  • Benison, S (1982). “International medical cooperation: Dr. Albert Sabin, live poliovirus vaccine and the Soviets”. Bulletin of the history of medicine 56 (4): 460?83. PMID 6760938. 
  • Dixon, B (December 1977). “Medicine and the media: polio still paralyses (Albert Sabin, Jonas Salk)”. British journal of hospital medicine 18 (6): 595. PMID 342023. 
  • Draffin, R W (January 1977). “Citation for Dr. Albert B. Sabin of Charleston, S.C. on presentation of Honorary Fellowship 1976”. The Journal of the American College of Dentists 44 (1): 28?30. PMID 320241. 

外部リンク

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