アリー・ラーリージャーニー
アリー・アルダシール・ラーリージャーニー(ペルシア語: علی اردشیر آملی لاریجانی、Ali Ardashir Larijani、1958年6月3日 - )は、イランの政治家、哲学者。イラクのナジャフ出身。現最高指導者顧問、現公益判別会議(公益評議会)議員[1]。2008年から2020年までイラン・イスラーム議会議長をつとめた。日本国外務省は「アリー・ラリジャニ」と表記しており、日本語メディアでは「ラリジャニ国会議長」と表記されることが多い。
アリー・アルダシール・ラーリージャーニー علی اردشیر لاریجانی | |
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アリー・ラーリージャーニー(2017年) | |
生年月日 | 1958年6月3日(66歳) |
出生地 | イラク、ナジャフ |
出身校 |
シャリーフ工科大学、 テヘラン大学 |
現職 | イラン・イスラーム議会議長 |
称号 | 西洋哲学博士 |
親族 |
モハンマド=ジャヴァード(兄)、 サーデグ(弟、元司法府長官) |
公式サイト | دکتر علی لاریجانی |
在任期間 | 2008年6月 - 2020年5月 |
最高指導者 | アリー・ハーメネイー |
選挙区 | ゴム |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 2008年 - 2020年 |
経歴
編集1958年6月3日、アーヤトッラーであったミールザー・ハーシェム・アーモリーの息子としてイラク王国ナジャフに生まれる[2]。
1979年、シャリーフ工科大学(数学、計算機科学)卒業。テヘラン大学で1981年に西洋哲学修士号、1983年に西洋哲学博士号を取得した。専門はカント哲学[3]。
イラン革命後はイスラム革命防衛隊参謀本部次長などをつとめた[3]ほか、1981年から1982年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)最高業務責任者となっている。
1991年から1993年までイスラム文化指導大臣、1994年から2004年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)総裁、2005年から2007年10月まで国家安全保障最高会議書記をつとめた。また、2005年のイラン大統領選挙に出馬したが、第一回投票で6位に終わっている。
2008年3月に行われたイラン国会議員選挙にゴムの選挙区から出馬し当選、また同年6月国会議長となった。2012年の国会議員選挙でも当選し、議長に選出されている[4]。2016年2月に行われた第10期国会議員選挙でも同じくゴム(定数3)で立候補し当選した[5]。2020年の第11期国会議員選挙には出馬しなかった。同年5月29日最高指導者顧問に任命される[6]。
2021年6月18日の大統領選挙に立候補を届け出たが、監督者評議会(護憲評議会)による資格審査を通らず出馬できなかった[7]。
2024年5月19日にエブラーヒーム・ライースィー大統領がヘリコプター墜落事故で急死したことを受け6月28日に急きょ執行されることとなった大統領選挙に立候補することを5月31日に表明[8]。しかし前回と同様に監督者評議会による資格審査を通らず出馬できなかった[9]。
人物
編集- 保守派だが、マフムード・アフマディーネジャード元大統領とは対立関係にあるとされていた一方、ハサン・ロウハーニー政権が進めた欧米諸国との核合意については支持を与えてきた[7]。
- 兄モハンマド=ジャヴァードは、司法権人権本部書記、最高指導者最高顧問、弟のサーデグは専門家会議議員、前司法府長官である。岳父は宗教指導者、学者のモルタザー・モタッハリー。
- 何度か訪日している。広島や長崎に訪問しているほか、明治神宮に参拝したことがある[10]。2010年の長崎来訪の際は、長崎原爆資料館を見学、同資料館について「米国が起こした戦争犯罪を世界に知らしめるという意味で意義深く価値がある」と指摘、「世界に一つでも核爆弾が存在すれば全人類の脅威。あらゆる大量破壊兵器は禁止されるべきだ」と述べた。また田上富久市長に対して、イランが核兵器製造を行わないことを伝えた[11]。
脚注
編集- ^ “イラン公益評議会議員の任命”. アヤトッラー・セイエド・アリー・ハーメネイー業績・作品研究所. (2012年3月14日) 2012年11月8日閲覧。
- ^ “Ali Larijani”. Who is Log. 2014年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ a b 佐藤秀信. “用語解説”. 日本国際問題研究所 2012年11月4日閲覧。
- ^ “Larijani elected new parliament speaker”. Tehran Times. (2012年6月5日) 2012年11月4日閲覧。
- ^ “Final results of Parl. elections released”. Mehr News. (2016年3月1日) 2016年3月17日閲覧。
- ^ “Ali Larijani named Leader advisor”. Tehran Times. (2020年5月29日) 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b “イラン大統領選挙 立候補認められた候補者7人発表”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年5月25日) 2021年5月26日閲覧。
- ^ “イラン国会議長が立候補 保守強硬派、ライシ氏死亡に伴う大統領選”. 産経新聞. (2024年6月3日) 2024年6月4日閲覧。
- ^ “保守強硬派軸、6人の争いに 改革派も出馬容認、実力者は排除―イラン大統領選”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2024年6月9日) 2024年6月9日閲覧。
- ^ http://www.meijijingu.or.jp/news/100301.html
- ^ “イランのラリジャニ議長が来崎 核兵器製造を否定”. 長崎新聞. (2012年2月28日) 2012年12月20日閲覧。
外部リンク
編集- دکتر علی لاریجانی
- Biographyイラン議会のウェブサイトに掲載されているプロフィール。