アラリック2世
アラリック2世(Alaric II, 458/66年 - 507年)は、西ゴート王国の国王(在位:484年 - 507年)。在位期間は23年で歴代の西ゴート王の中では、祖父テオドリック1世の33年に次ぐ期間である(但し、アラリック2世の時代から約170年後に即位したレケスウィントは単独統治では在位19年間だが、父キンダスウィントとの共同統治期間を含めれば、在位期間が23年となり、アラリック2世と並ぶ)。
アラリック2世 Alaric II | |
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西ゴート国王 | |
アラリック2世の金貨 | |
在位 | 484年 - 507年 |
出生 |
458/66年 |
死去 |
507年 |
配偶者 | 東ゴート王女ティウディゴート(テオデゴンダ) |
子女 |
(庶子)ゲサリック アマラリック オイステレ |
家名 | バルト家 |
父親 | エウリック |
母親 | ラグナヒルド |
生涯と治世
編集父で前国王のエウリックが死去したことで、485年に西ゴート王となった。彼の治世下でローマ法に基づく法典が編纂され、ローマ系の住民に適用された。当時の西ゴート王国は都を南フランスのトゥールーズにおいており、ガリア南部を支配していた。しかし、ガリア北部で5世紀末にフランク王国が成立すると対立を深めていき、507年に両国はヴイエの戦いで衝突した。この戦いでアラリック2世は戦死し、西ゴート王国はほぼガリア南部の支配を断念することになった。
関連項目
編集参考文献
編集- 立石博高編 『新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』 山川出版社、2000年
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