アメルスフォールト
アメルスフォールト (アーメルスフォールト、オランダ語: Amersfoort [ˈaːmərsfoːrt] ( 音声ファイル))は、オランダ、ユトレヒト州の基礎自治体(ヘメーンテ)及び市。ユトレヒト州第2の都市。
アメルスフォールト Amersfoort | |||||
---|---|---|---|---|---|
シント=ヨリス教会と、アメルスフォールト市街 | |||||
| |||||
位置 | |||||
アメルスフォールトの位置 | |||||
位置 | |||||
座標 : 北緯52度9分0秒 東経5度23分0秒 / 北緯52.15000度 東経5.38333度 | |||||
行政 | |||||
国 | オランダ | ||||
州 | ユトレヒト州 | ||||
市 | アメルスフォールト | ||||
市長 | アルベルティーネ・ファン・フリート=カイパー(Albertine van Vliet-Kuiper) | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 63.78 km2 | ||||
陸上 | 62.88 km2 | ||||
水面 | 0.90 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2008年6月30日現在) | ||||
市域 | 142,299人 | ||||
人口密度 | 2,263人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||||
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||||
郵便番号 | 3800 - 3827 | ||||
市外局番 | 033 | ||||
公式ウェブサイト : http://www.amersfoort.nl/ |
構成
編集基礎自治体アメルスフォールトは、アメルスフォールト市、ホーフラント、ホーフランデルフェーン、スタウテンブルフ・ノールトの各市町村で構成されている。
歴史
編集狩猟採集社会の猟師たちが、中石器時代にアメルスフォールト地域で野営していた。考古学者たちがアメルスフォールト北部でこれらの野営地跡を発見している。野営地跡には、炉床の跡、時には小さな石でできた火打ち石のかたちがあった。
紀元前1000年頃、アメルスフォールト地域の定住地がつくられたが、名前はアメルスフォールトでなかった。アメル川の中にある浅瀬にちなんで名付けられたのである。現在川はエーム川と呼ばれている。11世紀になってアメルスフォールトの名が登場した。現在のホーフ広場として知られる場所周辺から市は成長した。ユトレヒト司教がGelderse valleiを監督するための宮廷を広場に設置していたためである。ユトレヒト司教ヘンドリック・ファン・フィアンデンから、1259年にアメルスフォールトは都市権を授けられた。最初の防御用城壁はレンガでつくられ、1300年頃完成した。すぐに、市の拡張の必要が明白となっていき、1380年頃に新たな城壁の建設が始まり、1450年頃に完成した。有名なコッペルプールト(en)、水陸両方の城門はこの第二次建設の城壁の一部である。初期の城壁は打ち捨てられ、その場所に住宅が建てられた。現在のムールハイゼン(Muurhuizen、壁の家)通りは初期の城壁のあったまさにその場所である。初期の城壁の基礎部分のてっぺんに、住宅の正面が建てられた。
聖母の塔(Onze-Lieve-Vrouwentoren)[1]は、高さ98mあり、オランダで最も高い中世の教会塔の一つとして知られる。塔と教会の建設は1444年に始まった。教会は1787年の爆発で打ち捨てられたが、塔は無事で、教会のレイアウトはいまも、違った種類の石を使用した歩道が識別できる。現在、RD座標システムの参照地点となっており、オランダ地形学サービスによって座標網目が用いられている。
アメルスフォールトの市中は中世以来よく保存されている。聖母の塔、コッペルプールト、ムールハイゼンから離れて、シント=ヨリス教会がある。
中世、アメルスフォールトは織物産業の重要な地であった。そして数多くのビール醸造所があった。18世紀にはタバコ栽培から市は繁栄を極めた。
第二次世界大戦
編集第二次世界大戦中、アメルスフォールト市近郊には強制収容所があった。公式にアメルスフォールト警察通過収容所(Polizeiliches Durchgangslager Amersfoort)と呼ばれた収容所は、カンプ・アメルスフォールトとしてよく知られていた。これは実際には近郊の基礎自治体レウスデンにあった。戦後、収容所所長のヨゼフ・コテラは、死刑を宣告されたが終身刑に減刑され、出所することなく1979年に獄死した。
ケイスタードの発祥
編集アメルスフォールトのあだ名、ケイスタード(丸石の市)は、9トンある丸石アメルスフォールトセ・ケイ(Amersfoortse Kei)に由来する。この石は、1661年にソーストの荒れ野から、2人の土地所有者の間の賭のために400人の人々が引きずって市へ持ち込んだという。勝者には誰でもビールとプレッツェルがもらえるというので、人々は褒美をもらった。他の近郊の町は、アメルスフォールトの人々をあだ名でケイフーフト(Keihoofd、石頭)と呼んだ。この話が住民を当惑させ、彼らは丸石を市内に埋めた。しかし、1903年になって埋めた丸石が再発見され、記念物として据えられた。
文化
編集- モンドリアン美術館 - ピエト・モンドリアンの作品を展示。パリにあった彼の工房をそのまま展示している
- Flehite - 歴史、教育、現代美術の展示を行う。アスベスト除去工事のため2008年いっぱい閉鎖している
- ゾンネホーフ(Zonnehof) - 小さいが優雅な現代的建築
- アルマンド美術館 - 教会を修繕してつくられた、画家アルマンドの美術館。多くが現代美術の展示(教会の大半と、展示していた美術品は2007年10月22日に起きた火事で破壊された[2]
スポーツ
編集- クイック・アメルスフォールト - アメルスフォールトを本拠地とする野球・ソフトボールチーム
交通
編集バス
編集バスのサービスは三社が行っている。
鉄道
編集アメルスフォールトには3つの駅がある:
- アメルスフォールト駅 - 市中心部にある。エンスヘデ、ロッテルダム、デン・ハーグ、アムステルダム、レーワルデン/フローニンゲンへの路線がある。
- アメルスフォールト・スホトホルスト駅 - アメルスフォールト駅の北。平日、1時間に6本の電車がアメルスフォールト駅へ直行し、1時間に2本の電車がズヴォレへ向かう。
- アメルスフォールト・ファトホルスト駅 - アメルスフォールト・スホトホルスト駅の北。平日、1時間に4本の電車がアメルスフォールト駅へ直行し、1時間に2本の電車がズヴォレへ向かう。
道路
編集市議会
編集アメルスフォールト議会は39議席からなり、以下のように分けられている:[3]
ゆかりの著名人
編集- ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト - 政治家
- ピエト・モンドリアン - 画家
- フェムケ・ボル - 陸上選手
姉妹都市
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “Onze Lieve Vrouwentoren”. SkyscraperCity. 2008年3月26日閲覧。
- ^ “Armando Museum fire”. Armandomuseum.nl. (2007年10月22日) 2007年11月4日閲覧。
- ^ “Zetelverdeling en stemaantallen” (オランダ語). Gemeente Amersfoort. 2008年3月26日閲覧。
外部リンク
編集- アメルスフォールト自治体公式サイト (オランダ語・英語)
- AmersfoortYourWay Tourist information and hotel bookings
- Detailed Falkplan map