室伏重信

日本のハンマー投げ選手、コーチ
アジアの鉄人から転送)

室伏 重信(むろふし しげのぶ、1945年昭和20年〉10月2日 - )は、日本の元陸上競技選手、陸上競技指導者。専門はハンマー投で、男子同種目・前日本記録保持者。中京大学名誉教授2004年アテネオリンピックハンマー投金メダリストの室伏広治と、女子ハンマー投日本記録を長年保持していた室伏由佳の実父である。重信は息子の広治に次ぐ、日本歴代2位のハンマー投記録保持者。

室伏 重信 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 室伏 重信
国籍 日本の旗 日本
種目 ハンマー投
所属 大昭和製紙(現役時)
生年月日 (1945-10-02) 1945年10月2日(79歳)
身長 181cm[1]
体重 90kg
自己ベスト  ハンマー投 75m96(日本歴代2位)
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
1970年 バンコク大会 ハンマー投
1974年 テヘラン大会 ハンマー投
1978年 バンコク大会 ハンマー投
1982年 ニューデリー大会 ハンマー投
1986年 ソウル大会 ハンマー投
1966年 バンコク大会 ハンマー投
編集 テンプレートのヘルプを表示する

人物

編集

日本大学経済学部卒業。 大昭和製紙に所属。 オリンピック日本代表4回、アジア大会5連覇、日本選手権10連覇などの金字塔を打ち立て「アジアの鉄人」とうたわれた[2]

重信がマークした75m96の日本記録は、1998年に息子の室伏広治に破られたが、広治に次ぐ日本歴代2位である。 1984年に重信がハンマー投の日本記録をマークして以降、重信から広治へと室伏親子が日本記録を保持し続けている。また、娘(広治の妹)の室伏由佳は女子ハンマー投の日本歴代2位の記録保持者である。

指導者としてアテネオリンピック男子ハンマー投金メダリストとなった息子の広治を始め、1998年長野オリンピックボブスレー代表の中村康夫英語版釜山アジア大会男子ハンマー投銀メダリストの土井宏昭エドモントン世界選手権女子ハンマー投代表の綾真澄、自身の長女でアテネオリンピック女子ハンマー投代表の室伏由佳富士通で活躍した植徹など、幾多の名選手を育成した。中京大学陸上競技部監督・アテネオリンピック日本選手団ヘッドコーチなどを歴任。

また幼少時代から相撲が好きであったため、大相撲力士に憧れていた。筋肉質で足腰が強かったため、中学3年の時点で相手になる人がいなかったと語っている[3]。昭和の大横綱双葉山定次時津風)自らが重信に入門を勧め、力士になるつもりでいたが、母親に反対されたため、角界入りを断念したという逸話がある[4]

経歴

編集

倒れ込み

編集

外国人選手との体格の差を埋めるために重信が開発した投擲フォームである。現在では当たり前になったが、当時は一般的でなかったビデオによるフォームの確認を行いながら、人体についての専門書も読み、試行錯誤を繰り返し作り出した。体格の大きい選手は自らの背筋力でハンマーの遠心力に耐えて投擲ができるが、体格の小さい重信では自らの背筋力のみではハンマーの遠心力に耐えきれずに限界が来る。そこを後ろに倒れ込むようにしてカバーし、更に回転半径を大きくすることでハンマー先端の遠心力を増加させ、回転のスピードアップを可能にした。この技術は息子の室伏広治にも受け継がれ、広治のオリンピック、世界陸上選手権での金メダル獲得の一因となった。

主な受賞歴

編集

著作・関連書籍

編集

脚註

編集
  1. ^ shigenobu Murofushi sports-reference.com
  2. ^ 夢と感動と愛を与えた日本陸上界の偉人5人”. 【SPAIA】スパイア (2016年7月23日). 2020年11月17日閲覧。
  3. ^ スポーツ 歴史の検証 第20回 室伏重信 アーカイブ 2015年6月16日 - ウェイバックマシン 笹川スポーツ財団
  4. ^ 伝説~スポーツ王国日本 歴史を作った者たち 【ハンマー投げ~アジアの鉄人 室伏重信(1) アーカイブ 2008年10月29日 - ウェイバックマシン 日刊スポーツ 2014年11月15日閲覧
  5. ^ <あのころ>室伏重信が結婚 広治選手の両親”. 共同通信 (2012年9月29日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月27日閲覧。
  6. ^ 中京大学広報 第168号 (PDF) (2011年6月27日、8ページ)

関連項目

編集

外部リンク

編集