アシュラフ
アシュラフ(? - 1357年)は、チョバン朝の第2代(最後)の君主(在位:1343年 - 1357年)。
アシュラフ ملک اشرف | |
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チョバン朝君主 | |
在位 | 1343年 - 1357年 |
死去 |
1357年 |
王朝 | チョバン朝 |
父親 | ティムール・タシュ |
来歴
編集初代君主・シャイフ・ハサンの弟(兄という説がある)で、1343年にシャイフが暗殺された後、弟や有力者との内紛を経て後を継いだ。兄の死で動揺する王朝を再建するために各地を転戦するが、兄ほどの政略・軍略の才能が無かったアシュラフは各地で連敗し、かえってその弱体化ぶりを露呈した。さらに統治においても支配下のアゼルバイジャンで略奪・殺人など暴政を繰り返して人心を離反させた。そしてこの暴政に苦しんだ配下の諸将がジョチ・ウルスに救援を求めたため、アゼルバイジャン征服を目論むジョチ・ウルスが1357年に大軍を率いて侵攻すると、たちまち諸将が離反したため、アシュラフは大した抵抗もできずにジョチ・ウルス軍に敗れて捕らえられ、処刑された。
これにより、チョバン朝は滅亡した。
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