アエミリウス橋

古代ローマの橋

アエミリウス橋ラテン語: Pons Aemilius)、エミーリオ橋イタリア語: Ponte Emilio)は古代ローマ時代にテヴェレ川に架けられた。古代ローマで架けられた石橋の中で最も古いもので、紀元前2世紀に木造の橋を撤去して架橋された。商業の中心であったフォルム・ボアリウムと、テヴェレ側対岸のトランス・テヴェレム(トラステヴェレ)を結んでいた。かつては7径間あったが[要出典]、現在は川の中ほどのアーチ橋の1径間が残存するのみで、“壊れた橋”を意味するポンテ・ロットイタリア語: Ponte Rotto)と呼ばれている。中世には橋の上にあった聖母マリアのための小さな礼拝堂にちなんで、サンタ・マリア橋とも呼ばれていた[1]

アエミリウス橋
基本情報
イタリアの旗 イタリア
所在地 ローマ
交差物件 テヴェレ川
竣工 紀元前142年 (石橋)
座標 北緯41度53分22秒 東経12度28分46秒 / 北緯41.88944度 東経12.47944度 / 41.88944; 12.47944座標: 北緯41度53分22秒 東経12度28分46秒 / 北緯41.88944度 東経12.47944度 / 41.88944; 12.47944
構造諸元
形式 アーチ橋
材料
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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アエミリウス橋の位置(イタリア内)
アエミリウス橋
橋の位置図

歴史

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起源

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伝承ではこの橋の前身は王政ローマ時代、アンクス・マルキウスの架けた木造橋にさかのぼるという[1]。ホラティウス・コクレスがローマ包囲戦 (紀元前508年)で、エトルリア軍を橋上でひきつけローマ軍の撤退を助け、最後には橋を落としてエトルリア軍の進撃を止めた橋である[1]。この橋はスブリキウス橋といったが、スブリキウス(イタリア語で言えばスブリーチョ)とは木材という意味である[2]。このようにいざというとき簡単に落とせるよう、石造の技術があったにもかかわらずあえて木造としたのであろう[2]。なお、現在下流にあるスブリーチョ橋英語版は別物である[2]帝政ローマ初期の歴史家ティトゥス・リウィウスは、紀元前192年にティベリス川が氾濫し、フルメンタナ門フランス語版付近の2つの橋が破壊されたことを記している[3]

ローマ時代

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最初の石橋を架ける工事は、紀元前179年監察官マルクス・アエミリウス・レピドゥスマルクス・フルウィウス・ノビリオル[1]により始められたが、橋脚ができたところで未完のまま終わった[2]。そして、この建設途中の構造物を利用する形で紀元前142年の監察官、スキピオ・アエミリアヌスルキウス・ムンミウスが橋を完成させた[4][2]。その後、数百年に渡り橋は使われ続けた。西暦紀元前後にはアウグストゥス[5]ティベリウス帝が補修し、紀元後はアントニヌス・ピウスが大理石製とした[1]。また280年にはプロブス帝が補修を行ったことがわかっている[6]

後世

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12世紀、教皇権力に対抗してかつてのローマの共和政精神が復活すると元老院が置かれ、その主導で橋の補修あるいは再建が行われた[2]。これにちなんで元老院橋(セナトーリオ橋)と呼ばれるようになった[2]。その後もしばしば洪水で損傷したが、1598年12月25日の洪水でついに橋は渡れない状態になってしまった[2]。代替の橋が架けられるには1800年後半のパラティーノ橋英語版完成まで待つ必要があった[7]。パラティーノ橋建設前の時点ではアエミリウス橋のアーチは3つ残存していたが、スペースを確保するため1887年にアーチをひとつ残して他は撤去されたのである[8]。その後もアエミリウス橋はひとつだけ残ったアーチを強いて撤去されることもなく、そのままの姿を見せている[7]

参考文献

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  1. ^ a b c d e パラーディオ,アンドレア; ハート,ヴォーン; ヒックス,ピーター 著、桑木野幸司 訳『パラーディオのローマ : 古代遺跡・教会案内』白水社、2011年、69-71頁https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB07437697  および注。
  2. ^ a b c d e f g h 河島英昭ローマ散策』 新赤版 698、岩波書店〈岩波新書〉、2000年、45-52頁https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA49236934 
  3. ^ リウィウス『ローマ建国史』35.21
  4. ^ リウィウス『ローマ建国史』40.51.4
  5. ^ Balance, M. H. (1951). The Roman Bridges of the Via Flaminia. British School at Rome. JSTOR 40310491. , p. 99, note 72.
  6. ^ “The Palatine Bridge at Rome”. The Railroad and Engineering Journal 66 (3): 117 – 118. (1892). https://books.google.com/books?id=IMZLAAAAYAAJ&pg=PA117&dq=%22The+Palatine+Bridge+at+Rome%22&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwi4iP2JkufaAhXM6oMKHff6Dp0Q6AEIKTAA#v=onepage&q=%22The%20Palatine%20Bridge%20at%20Rome%22&f=false May 2, 2018閲覧。. , p. 117.
  7. ^ a b 五十畑弘『図説日本と世界の土木遺産秀和システム、2017年、190頁。ISBN 9784798052236https://books.google.co.jp/books?id=tN1BDwAAQBAJ 
  8. ^ Platner, Samuel. “Pons Aemilius”. シカゴ大学. 2019年4月30日閲覧。