もてもてスクランブルBEGIN the OJIN
もてもてスクランブルBEGIN the OJIN(もてもてスクランブル ビギン・ザ・オジン[注釈 1])は、1983年10月10日から1984年3月30日まで、ニッポン放送で放送されていた、ナイターオフ限定のワイドラジオ番組。
もてもてスクランブル BEGIN the OJIN | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送期間 | 1983年10月10日 - 1984年3月30日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 20:30 - 22:00 |
放送局 | ニッポン放送 |
制作 | ニッポン放送 |
ネットワーク |
山口放送、高知放送 (いずれも20:30 - 21:00の間のみ) |
パーソナリティ | #パーソナリティの節を参照 |
概要
編集21時台スタートだった『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』に代わって1983年5月に放送開始された『ヤングパラダイス』は22:00スタートとなったため、20時台と21時台を跨ぐ、ニッポン放送ショウアップナイターの放送されない間のナイターオフ限定ワイド番組として登場。なお本番組以降21時台はショウアップナイターの後座番組(『ナイター花の応援団』→『ショウアップナイター探偵団』→『ショウアップナイターフラッシュ』→『ショウアップナイター応援団』→『ショウアップナイターハイライト』)とナイターオフワイド番組を交互に放送するようになった。
当時流行していた「オジン」という言葉(おじさんが転訛した言葉)を盛り込んだタイトルであり、これを「OJIN」とアルファベット書きにしたのは、「ヤング感覚も持った大人を意味する」ためとされている[1]。そして「現在最も“OJIN感覚”にあふれた五人」[1]として以下の5人が選ばれた。
なお当番組は、20:30 - 21:00の30分だけは前年、1982年度に続きネット枠となっていた他、内包番組4本を抱えるブロックワイドであった。
パーソナリティ
編集タイムテーブル・コーナー
編集(出典:[2])
- 20:35 - 子供よわかるか オジン・ザ・クイズ
- 生放送中、オープニングから出場者(主に小学生から高校生)を電話で募集し、選ばれたリスナーは電話で出場。賞金は1問正解するごとに1,000円。
- 20:45 - オー!マイ・アイドル
- 20:50 - アントニオ猪木 闘魂ザ・ワールド[注釈 4]
- 21:04 - 思春期20秒何でも発言
- 電話で20秒間、リスナーにとにかく好きなことを言ってもらうコーナー[3]。
- 21:13 - 輝けスター! 銀座音楽祭への道
- 21:25 - '84飛び出せ!全国DJ諸君
- 21:35 - ヤマハポータトーンブレイク
- 21:45 - 拝啓!青春諸君
- 上記以外のコーナー
- ハダカでこんばんは
- (女性リスナーとパーソナリティが一緒に風呂に入るという設定で、風呂場の様々な効果音を付けながらトーク[4])
ネット局
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 本来の英語の発音ならば「ビギン・ジ・オジン」となるところであるが、当時の各新聞ラジオ欄においては「ビギン・ザ・オジン」となっていたため、これを本項の読み仮名とする。
- ^ ニッポン放送では、当番組の始まる5か月前の1983年4月30日まで『所ジョージの足かけ二日大進撃』を担当していた。
- ^ ニッポン放送では、当番組の始まる6か月前の1983年3月まで『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』を担当。当番組終了直後の1984年4月から『アルフィーのオールナイトニッポン』(水曜1部)に出演していた。
- ^ 当番組終了後も、毎週土曜日21:30 - 22:00の枠に移動し、1984年9月末まで放送。
- ^ a b 両局とも、本番組の前の番組枠『まるのみヤングバーガー』をネット(山口放送は月〜金フルで、高知放送は同局独自で枠タイトルを「RKCアイドルナイト」(火〜金)と改題して、この枠の番組を5曜日のうち3曜日(水〜金)ネット)していたことにより、平日20時台の1時間枠はニッポン放送からのネット枠だった。
出典
編集ニッポン放送 月 - 金 20:30 - 22:00 枠 (1983年10月 - 1984年3月) |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
1983年度
もてもてスクランブル BEGIN the OJIN |
1984年度
KISS KISS シンドローム (月 - 金 20:30 - 21:00) 月曜:岡田有希子 ちょっとおあずけ 火曜:渡辺典子・高柳良一 誰かが誰かに恋してる 水曜:高見知佳のぶったま白書 木曜:幸司君のスタンバイOK! 金曜:石川秀美 みんとくらぶ ラジオショック!うわさのTOP40 (21:00 - 22:00) |