ましう
ましう | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本 |
所有者 | 近海郵船 |
運用者 | 近海郵船 |
建造所 | 内海造船瀬戸田工場(254番船)[1] |
姉妹船 | さろま |
建造費 | 約28億円[2] |
航行区域 | 近海[1] |
船級 | JG第2種[1] |
IMO番号 | 7314187 |
改名 |
ましう Garyounis DUBAI COAST 1 |
経歴 | |
起工 | 1972年12月15日[1] |
進水 | 1973年4月3日[1] |
竣工 | 1973年6月30日[1] |
就航 | 1973年7月5日[3] |
運航終了 | 1976年12月21日 |
最後 | 2004年、インドで解体 |
要目 | |
総トン数 | 8,783 トン[4] |
載貨重量 | 3,766 kt[1] |
排水量 | 10,640(満載時)[1] |
全長 | 166.5 m[1] |
垂線間長 | 155.0 m[1] |
型幅 | 24.0 m[1] |
型深さ | 9.7 m[1] |
満載喫水 | 6.3 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 日立B&W 16U45HU 2基[1] |
推進器 | 2軸 |
最大出力 | 18,800 PS[1] |
定格出力 | 16,000 PS[1] |
最大速力 | 24.4ノット[1] |
航海速力 | 20.7ノット[1] |
航続距離 | 4,223海里[1] |
旅客定員 | 452名[1] |
乗組員 | 54名[1] |
車両搭載数 | トラック95台・乗用車80台[4] |
概要
編集まりもに続く第二船として1972年9月に計画を発表[5]、内海造船瀬戸田工場で1973年6月に竣工、7月5日東京発便より東京 - 釧路航路に就航[3]。まりもと合わせ週4往復に増便された[6]。
1975年に同型船のさろまの就航により毎日運航となったが、オイルショックの影響により、1976年12月21日から3日2便へ減便され、本船は係船された[7]。
その後、1977年4月にリビアへ売船され[8]、内海造船瀬戸田工場にて改造の上GNMTCでGaryounisとしてリビアからジェッダへの航路に就航した[9]。
2004年からバレッタで係船されていたが、2004年7月、イラクの海運会社へ売却され、DUBAI COAST 1と改名され、2004年9月、インドで解体された。
設計
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先に建造されたまりもと比較して車両区画を拡張し客室は1等室を増やし特2等船室を廃する形とし[5]、個室を大幅に増やし[6]、旅客定員を減少させ貨物輸送に重点を置いた形となっている[10]。またランプウェイを乗用車用とトラック用に分け車両搬入時間の短縮を図る形とした[6]。
- 客室[1]
- 特等室(2名)
- 1等室(計150名)
- 2等室(計250名)
- ドライバー室(計50名)
- 設備[1]
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 新造船写真集 自動車航送旅客船 ましう MASHU 近海郵船株式会社 - 船の科学1973年7月号
- ^ 新船紹介 近海郵船「ましう」 - 旅客船No.102(日本旅客船協会)
- ^ a b 「ましう」一便入港 釧路 期待される経済効果 - 釧路新聞1973年7月8日1面
- ^ a b 竣工船写真集 ましう - 海運1973年8月号(日本海運集会所)
- ^ a b 好調・・・第2船を申請来年6月から隔日運行釧路・東京フェリー - 北海道新聞1972年9月13日朝刊
- ^ a b c d ヨウコソ「ましう」フェリー第二船が釧路に初入港 - 釧路新聞1973年7月5日9面
- ^ 世界の艦船(1977年3月号,p146)
- ^ 大手系フェリー会社の体質改善進む - 海運1978年1月号(日本海運集会所)
- ^ 改造船 旅客/フェリー GARYOUNIS - 船の科学1978年2月号
- ^ 池田良穂「北海道航路史(戦後編)」 - 旅客船No.119(日本旅客船協会)
- ^ すてきな船内、カーフェリー「ましう」 - 釧路新聞1973年7月6日朝刊5面