ほっとないとHOKKAIDO
『ほっとないとHOKKAIDO』(ほっとないとホッカイドウ 英:Hot Night HOKKAIDO)は、北海道放送にて放送されたテレビ番組である。
ほっとないとHOKKAIDO | |
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ジャンル | 情報番組/バラエティ番組 |
出演者 | #出演者参照 |
製作 | |
制作 | 北海道放送 |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
ほっとないと22 | |
放送期間 | 1986年10月7日[1] - 1987年9月22日[2] |
放送時間 | 火曜日 22:00 - 22:54 |
ほっとないとHOKKAIDO | |
放送期間 | 1987年10月6日[3] - 1996年3月26日[4] |
放送時間 | 火曜日 19:00 - 20:00 (1987年10月6日 - 1992年9月29日) 火曜日 20:00 - 20:54 (1992年10月6日 - 1993年3月23日) 火曜日 19:55 - 20:54 (1993年4月6日 - 1996年3月26日) |
ほっとないとHOKKAIDO 快傑調査室 | |
放送期間 | 1996年4月16日[5] - 1997年9月16日[6] |
放送時間 | 火曜日 20:00 - 20:54 |
ほっとないとHOKKAIDO クイズここが考えどこ | |
放送期間 | 1997年10月14日[7] - 1998年3月17日[8] |
放送時間 | 火曜日 20:00 - 20:54 |
概要
編集1985年7月27日から開始されたHBC地方6放送局各地域の話題をリレー形式で紹介した特別番組シリーズ「HBCネットワーク特集縦横無尽」を発展させる形で、1986年10月7日に『ほっとないと22』として放送開始[9]。当初毎週火曜22時の放送だったが、JNN系列の自主編成時間帯(TBSでは『そこが知りたい』)に放送していたため、1987年10月より19時台に時間帯移動となり『ほっとないとHOKKAIDO』にタイトルを改めた[9]。
1992年10月、バラエティ番組「ムーブ」開始に伴い、火曜20時に枠移動。安定した視聴率を獲得していたが、1998年3月をもって放送終了。その後はTBSの同時ネット(『見ればなっとく!』)となり現在に至る。
スポンサーは道内全域向けと道内各局別をあわせたものとなっており、テロップ表示していた札幌局以外の地域では各局毎でブルーバックまたはグリーンバックでスポンサーが表示されていた(TBSからの特別番組による休止の場合の当該時間帯は道内全域向けのスポンサーのみ放送し、道内各局別のスポンサーCMは休止となっていた)。道内全域向けのスポンサーは花王が筆頭スポンサーであり、番組内では花王の生CMも放送していた。
番組内容
編集「22」時代は「ラーメンからミサイルまで」をコンセプトに道内212市町村の情報をいきいきした切り口で紹介する構成として、社会的な話題を中心とした共通テーマを軸として各局のアナウンサーからのリポートやエリアニュースといった地方情報をリアルタイムで札幌へ送る趣向とした[9]。
「HOKKAIDO」になってからは初期は「22」時代同様「地域密着番組」だったが、後に視聴者参加のクイズ番組(電話により解答。当初は「知っTELねっと」というサブタイトルが付いていた)にリニューアル。ちなみに電話をかける条件としては、番号の末尾だけではなく、市外局番にも条件が定まっており、「011の地域(札幌市・江別市・広島町(現:北広島市)・南幌町)」と「011以外の地域」に分かれていた。なお、電話による解答権は2人までとなっていた。また、正解した場合は「ほっと」「ないと」「HOKKAIDO」と書かれた3つのボックスの中から1つ選ぶが、中に入っている賞品は問題ごとに位置が入れ替わっている(賞品そのものは週替りで登場するが、名産品から家電品まで多種多様だった)。
末期(1996年頃)は『ほっとないとHOKKAIDO 快傑調査室』として視聴者からの依頼を元に様々な謎や疑問を解決する番組が中心となっていた[10]。
最末期(最後の半年間)は『ほっとないとHOKKAIDO クイズココが考えどこ』として再びクイズ番組となった。
余談だが、クイズ番組として放送されていた時、「011以外の地域」に解答権がある問題で、スタッフの確認ミスから「011の地域」の視聴者に解答権を与えてしまった。しかも司会・キャスターも確認ミスをして解答を聴いてしまった。その人は正解したものの、クレームの電話が相次ぎ、エンディングで『その時の問題が「011以外の地域」の視聴者に解答権があった』ことを理由にプレゼントの権利を無効にして、視聴者プレゼントに回すという異例の措置がとられたことが一度ある。その後同じようなことが再びあったが、司会・キャスターは住所を書いたメモを見た時点で「この問題での解答権がないんですよ。」と言って電話を切ってもらったという。
放送時間
編集(出典:[11])
放送期間 | 番組名 | 放送時間(日本時間) | |
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1986.10.07 | 1987.09.22 | ほっとないと22 | 火曜 22:00 - 22:54(54分) |
1987.10.06 | 1992.09.29 | ほっとないとHOKKAIDO | 火曜 19:00 - 20:00(60分) |
1992.10.06 | 1993.03.23 | 火曜 20:00 - 20:54(54分) | |
1993.04.06 | 1996.03.26 | 火曜 19:55 - 20:54(59分) | |
1996.04.16 | 1997.09.16 | ほっとないとHOKKAIDO 快傑調査室 | 火曜 20:00 - 20:54(54分) |
1997.10.14 | 1998.03.17 | ほっとないとHOKKAIDO クイズココが考えどこ |
出演者
編集この節の加筆が望まれています。 |
ビデオソフト
編集北海道内のスキー場を紹介するコーナー「スキー天国」の放送内容をまとめたVHS「スキー天国ほっかいどう」をHBCとTBSビデオとパック・イン・ビデオの3社協同企画として1990年8月に発売[9]。
- ニセコ・ルスツ・函館編
- トマム・サホロ・富良野編
- 札幌国際・テイネ・夕張編
- 豪快!ヘリスキー編
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)10月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)9月22日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)10月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1996年(平成8年)3月26日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1996年(平成8年)4月16日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1997年(平成9年)9月16日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1997年(平成9年)10月14日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1998年(平成10年)3月17日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c d 地域ジャーナリズムの追求 - スピーカーが風になりブラウン管が光になる時 北海道とともに50年HBC - 北海道放送(2002年)148-150頁
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1996年(平成8年)4月16日付朝刊、32面。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)10月 - 1998年(平成10年)3月、テレビ欄。
- ^ a b HBCテレビ 一日のニュース・情報はHBCネットワークの生番組で! - 北方圏1992年冬号(北方圏センター)
北海道放送(JNN) 火曜 22:00 - 22:54 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ほっとないと22
(1986年10月7日 - 1987年9月22日) |
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北海道放送(JNN) 火曜 19:00 - 20:00 | ||
JNNニュースコープ(火曜)
※18:30 - 19:20 【20分縮小して継続】 やったぜ!加トちゃん ※19:20 - 19:30 ガキ大将がやってきた ※19:30 - 20:00 【以上、3番組ともTBS製作かつ同時ネット】 |
ほっとないとHOKKAIDO
(1987年10月6日 - 1992年9月29日) |
ムーブ・三宅裕司のぎゃっぷウォーズ
(1992年10月13日 - 1993年3月23日) ※19:00 - 19:54 【同番組よりTBS製作かつ同時ネット】 番組案内 (1992年10月13日 - 1993年3月23日) ※19:54 - 20:00 |
北海道放送(JNN) 火曜 19:55 - 20:00 | ||
番組案内
(1992年10月13日 - 1993年3月23日) ※19:54 - 20:00 |
ほっとないとHOKKAIDO
(1993年4月6日 - 1996年3月26日) |
バクバクHBC
※19:54 - 20:00 |
北海道放送(JNN) 火曜 20:00 - 20:54 | ||
ほっとないとHOKKAIDO
(1992年10月6日 - 1996年3月26日) ↓ ほっとないとHOKKAIDO 快傑調査室 (1996年4月16日 - 1997年9月16日) ↓ ほっとないとHOKKAIDO クイズココが考えどこ (1997年10月14日 - 1998年3月17日) |