ちゃんころ
ちゃんころ
語源と歴史
編集中国人(特に漢民族)を意味する「ちゃんころ」という言葉は、日本帝国が中国に積極的に出兵する明治時代から頻繁に使われるようになった。いわゆる「兵隊シナ語」のひとつである。日本帝国の政治家と日本軍が清国に訪ねた際、満州民族の支配下にいた漢族が満州民族の前に跪く、頭を下げて御辞儀をしながら漢族たちを奴才と呼んでいたことを日本軍が見て中国人(漢民族)を清国奴(ちゃんころ)と呼んでいたのが語源である。中国服のことを「チャン服」、中華料理のことを「チャン料」などと形容詞的に略して用いることもあった。戦中に日本軍が征服した中国領土にいる中国人(漢民族)や敵に対して用いる俗語として定着した[3][4]。
出典
編集- ^ 『大辞林』三省堂 ISBN 978-4-385-13905-0
- ^ 『広辞苑』「ちゃん」
- ^ http://zokugo-dict.com/17ti/chankoro.htm
- ^ 東条英機が頻繁に使用した言葉だという記録がある。当時、日本軍の南京占領後、東条英機は支那のちゃんころの歴史は漢民族の女性の尻で成し遂げた歴史にすぎないと言った。また、支那の歴史は異民族の支配に点綴された歴史だと言ったがこれは高句麗やモンゴル族、鮮卑、契丹、そして満州族などが中国を支配した歴史的事実の根拠から出た言葉である。東条英機はこれに加えてちゃんころは人間の姿をしたゴキブリのようなものだという発言をした。(原文ママ)南京の日本軍、藤原彰著