しまね丸(しまねまる)は、第二次世界大戦中に日本川崎造船所で建造されたタンカーである[11]。1TL型戦時標準船を元に飛行甲板を装備したMACシップ兼用の設計で、特1TL型と呼ばれる型式の1番船[12]護衛空母とも表記される[注釈 2]

しまね丸
攻撃を受けた「しまね丸」(1945年7月28日撮影)[1]
攻撃を受けた「しまね丸」(1945年7月28日撮影)[1]
基本情報
建造所 川崎重工業艦船工場[2]
運用者 石原汽船(海軍配当船)[2]
級名 特1TL型[2]
艦歴
起工 1944年6月20日[3]
進水 1944年12月17日[4]
または12月19日[3]
竣工 1945年2月18日[2]
または2月28日ほぼ完成状態で工事中止[3]
最期 1945年7月24日船体切断[1]
その後 解体[3]
要目
満載排水量 20,469トン[4]
総トン数 10,000総トン[2]
または10,021総トン[1]
全長 160.500m[4][注釈 1]
垂線間長 153.000m[4]
20.000m[4]
深さ 11.500m[4]
19.605m(飛行甲板まで)[5]
飛行甲板 155.000m x 23.000m[5]
12m x 12m電動エレベーター 前部1基[6]
呉式着艦制動装置 7基[6]
吃水 満載:9.100m[4]
または9.03m[5]
ボイラー 艦本式缶[5](21号水管缶[7]) 2基[2]
主機 蒸気タービン(2段減速ギア付衝動式タービン高圧7段低圧6段[8]) 1基[2]
出力 8,600shp[2]
速力 18.5ノット[2]
または16ノット[5]
巡航速力 15ノット[4]
航続距離 10,000カイリ / 15ノット[4]
搭載能力 載貨重量:14,500トン[2]
重油:10,450トン[5]
兵装 12cm単装高角砲 2門[2]
25mm機銃 3連装9基[2]
同単装22挺[2]、または23挺[4]、或いは25挺[1](計画 2挺[9])
爆雷 16個[4]
90cm探照灯 2基[6]
搭載艇 4隻[9]
搭載機 烈風 10機(格納庫搭載数)[6](計画 12機[9]
または九三式中間練習機 12機(同上)[6]
艦上爆撃機搭載も考慮[10]
レーダー 13号電探 1基[4](計画 2基[9]
電波探知機[1]
ソナー 零式水中聴音機 1組[9]
トンは英トン[4]
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1945年(昭和20年)2月下旬に竣工したが、戦局の逼迫により航空母艦として活用される機会は既になかった[14]7月24日[15]イラストリアス級航空母艦4隻を基幹とするイギリス太平洋艦隊空母機動部隊 (第37任務部隊)から飛来した艦上機に攻撃されて大破、着底した[16]

艦歴

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大日本帝国陸軍の特殊船あきつ丸を本格的な航空母艦に改造する際に、日本陸軍と大日本帝国海軍は連絡協議会を開催、船舶情勢に応じて協力体制をとることになった[17]。特設航空母艦への改造用として、日本海軍に第一次戦時標準設計船(1万トン級タンカー)を数隻、日本陸軍に第二次戦時標準設計船2隻を割り当てた[18]。日本海軍の1番船が「しまね丸」[19]、2番船が「大瀧山丸」、日本陸軍の1番船が「山汐丸」で2番船が「千種丸」である[20]

本船は産業設備営団が発注し、1TL型10番船として[1]川崎重工業艦船工場1944年(昭和19年)6月20日に起工した[3]。まもなく特1TL型に設計変更された[1]。船体は基本的にタンカーのままで、その上に箱型構造の格納庫と飛行甲板を載せている[注釈 3]。機関部は船体後部にあるため、煙突も右舷後部に設置された[21]大日本帝国海軍の大部分の軽空母と同様に、飛行甲板と船体の間に艦橋を設置した[22][注釈 4]。エ船体の張出し(スポンソン)に対空兵装を設置、起倒式マストを採用することで、飛行甲板に障害物が存在しないフラッシュデッキ型空母である[23]

同年12月17日[4]または12月19日進水[3]1945年(昭和20年)2月18日竣工[2]、または2月28日ほぼ完成状態で工事が中止された[3][注釈 5]。 日本海軍の所有ではなく、石原汽船を船主とする民間の商船である。 竣工後も特設艦船として徴用するのではなく、民需輸送のかたわらで軍需輸送に協力する海軍配当船としての運用を予定した。船体にタンカーの構造が残っているので、重油を搭載したのち油槽船として運用する事も可能である[24]

本艦の竣工から間もなく南号作戦が中止された[21]。 3月17日の神戸大空襲(1回目)の直後、3月19日にアメリカ海軍機動部隊の艦上機呉市神戸を空襲する[25][26][注釈 6][注釈 7]神戸港内南側の18番浮標に係留中、爆撃により損傷を受け(船員6名戦死)予定していた兵員の乗り込みは中止された。これに加え、戦局の悪化による航空機、燃料の不足などのため実際に任務に就くことはなく、応急修理の後、4月初旬から香川県志度湾疎開し、植木や迷彩などで擬装した。[要出典]

 
英国海軍太平洋艦隊、艦載機アベンジャーズから攻撃を受ける「しまね丸」

1945年(昭和20年)7月24日、香川県志度湾でイギリス海軍太平洋艦隊空母機動部隊 (第37任務部隊)より飛来した艦上機の攻撃を受ける[15][注釈 8]。 複数機種で編成された攻撃隊は小豆島に繋留された生駒を見逃し、しまね丸に殺到した[29]ファイアフライ1機喪失と引き換えに、多数の命中弾を得る[注釈 9]。前部飛行甲板に爆弾3発命中し至近弾多数、前部は大きく破壊され、船体後部が折れて着底した[1]アメリカ合衆国マスメディアなどでは「神戸型護衛航空母艦 Kobe type escort aircraft carrier」と表記されている[注釈 2]。 現時点において、本船はイギリス海軍が撃沈した唯一の航空母艦である[29]

1946年(昭和21年)11月11日から1948年(昭和23年)7月1日まで[注釈 10]浪速船渠により解体された[3]。その際に地元の有志がマストを貰い受ける。現在のさぬき市鴨庄で警鐘台として活用されたのち、1基が現地で保存[32]、また1基が高松市にある四国村に移設保存されている[33]

 
側方から見た大破着底状態の「しまね丸」。

同型船

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  • 大滝山丸:三井船舶所属、川崎重工業製造。1944年(昭和19年)9月18日起工、1945年(昭和20年)1月14日進水、その後貨物船に変更、行程70%で工事中止。終戦の日を迎えたものの、同月25日に台風により漂流し、神戸港第一防波堤東灯台付近で機雷(戦時中、B29が投下したもの)により沈没[34]1948年(昭和23年)5月1日から10月1日に浪速船渠(または岡田組[34])により解体[31]
  • 大邱丸:川崎重工業製造。1944年(昭和19年)12月起工、1945年(昭和20年)2月工事中止、終戦まで放置[21]。戦後に飯野海運が購入、改造工事に着手する[35]1950年(昭和25年)3月進水、同年6月タンカー隆邦丸として竣工[36]1964年(昭和39年)5月、横須賀で解体[34]
  • 大社丸:起工準備中に中止[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本特設艦船物語』p.381では全長160.000mとするが、1TL型と同じ船体とすると160.500mが正しい値。
  2. ^ a b (中略)[13] “3. British Aircraft inflicted the following damage in the early strikes on July 24:(中略)A Kobe type escort aircraft carrier damaged in waters north of Takamatsu in Shikoku.(以下略)
  3. ^ 大内『幻の航空母艦』(2006年)182頁では、飛行甲板について「全長155名、全幅23m、九三式中間練習機(通称“赤トンボ”)12機搭載。」と記述する[18]
  4. ^ 空母龍驤改造空母大鷹型瑞鳳型)など。
  5. ^ しまね丸では1944年(昭和19年)6月8日に起工、同年12月19日に進水、1945年(昭和20年)2月29日に竣工となっている。ただし1945年は平年のため2月29日は無い。
  6. ^ 3月19日、神戸で軽空母サン・ジャシント」の艦上機が攻撃を受けて被弾する「しまね丸」を撮影した。
  7. ^ 木俣滋郎著『日本空母戦史』(1977年)では、3月18日19日のアメリカ海軍機動部隊(第58任務部隊)空襲時(九州沖航空戦)、未完成空母生駒(神戸川崎造船建造)は小豆島池田湾に、しまね丸は四国高松郊外に疎開していたので、被害を受けなかったと記述する[27]
  8. ^ 第一航空戦隊(イギリス)は、第5艦隊スプルーアンス提督)隷下において第57任務部隊と呼称し、第3艦隊ハルゼー提督)隷下では第37任務部隊と改称する。7月時点では第37任務部隊であり[28]、戦艦キング・ジョージ5世ローリングス提督の旗艦)、イラストリアス級航空母艦フォーミダブルヴィクトリアスインプラカブルインディファティガブル)を擁した[16]
  9. ^ この日、関西方面に出撃した第37任務部隊の攻撃隊は、F4Uコルセアシーファイア、ファイアーフライ、TBFアヴェンジャーで編成されていた[30]
  10. ^ または1946年(昭和21年)11月12日から1948年(昭和23年)4月1日まで[31]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 写真日本の軍艦第4巻 1989, p. 223.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 世界空母物語 1996, p. 220.
  3. ^ a b c d e f g h 日本海軍史7 1995, pp. 251–252.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 終戦時の日本海軍艦艇 1947, p. 189.
  5. ^ a b c d e f 日本特設艦船物語 2001, p. 381.
  6. ^ a b c d e 海軍造船技術概要 1987, pp. 1485–1486.
  7. ^ 海軍造船技術概要 1987, p. 1487。ただし1TL型の値。
  8. ^ 戦時造船史 1962, p. 119。第7表、第一次戦時標準船タービン汽機要目。ただし1TL型の値。
  9. ^ a b c d e 戦時造船史 1962, p. 445。1TL型特殊油槽船 一般艤装大体図。
  10. ^ 海軍造船技術概要 1985.
  11. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 178a-202特殊航空母艦「しまね丸」「熊野丸」「山汐丸」
  12. ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 171a-177日本のMACシップ
  13. ^ Carriers Continue Blows on Japan Fleet”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.07.25. pp. 03. 2024年4月7日閲覧。
  14. ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 261–266日本陸軍の航空母艦(船)の戦歴
  15. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 186.
  16. ^ a b 日本空母戦史 1977, pp. 888a-891タンカー型空母しまね丸、英空母により沈没(七月二十四日)
  17. ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 171b.
  18. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 182.
  19. ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 172.
  20. ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 176.
  21. ^ a b c 日本空母戦史 1977, p. 829.
  22. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 184–185第14図 航空母艦型油槽船 しまね丸
  23. ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 174–175第29図 しまね丸の外形図
  24. ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 177.
  25. ^ 米國航空母艦隊の南日本空襲三日目に入る 呉軍港は煙る修羅場と化す”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.03.20. pp. 04. 2024年4月7日閲覧。
  26. ^ 母艦機隊、瀨戸内海で 日本艦隊を衝く 軍艦十五乃至十七隻を撃破”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.03.21. pp. 03. 2024年4月7日閲覧。
  27. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 869–870.
  28. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 203.
  29. ^ a b 日本空母戦史 1977, p. 890.
  30. ^ 日本空母戦史 1977, p. 889.
  31. ^ a b 艦艇処分状況 1948, p. 21.
  32. ^ 旧護衛空母+島根丸のマスト(警鐘台 - Google Map(2022年10月10日閲覧)
  33. ^ 警鐘台 - 四国村(2022年8月7日閲覧)
  34. ^ a b c 日本海軍史7 1995, p. 252.
  35. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 187.
  36. ^ 日本空母戦史 1977, p. 901商船となった空母予定船

参考文献

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  • 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時(内地)艦艇処分状況」『終戦と帝国艦艇』、光人社、2011年1月、ISBN 978-4-7698-1488-7 
  • 大内建二「第3章 日本型護衛空母の誕生」『護衛空母入門 その誕生と運用メカニズム』光人社〈光人社NF文庫〉、2005年4月。ISBN 4-7698-2451-3 
  • 大内健二「第4章 未完に終わった航空母艦/特殊航空母艦「しまね丸」「熊野丸」「山汐丸」」『幻の航空母艦 主力母艦の陰に隠れた異色の艦艇』光人社〈光人社NF文庫〉、2006年12月。ISBN 4-7698-2514-5 
  • 小野塚一郎『戦時造船史』日本海事振興会、1962年3月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、海軍歴史保存会、1995年11月。 
  • 木俣滋郎「第十八章 末期の空母」『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU (福井静夫/纏め『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫『世界空母物語』 福井静夫著作集第3巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0609-4 
  • 福井静夫『日本特設艦船物語』 福井静夫著作集/第十一巻 - 軍艦七十五年回想記、光人社、2001年4月。ISBN 4-7698-0998-0 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • ドナルド・マッキンタイヤー「落日の日本海軍」『空母 日米機動部隊の激突』寺井義守 訳、株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫23〉、1985年10月。ISBN 4-383-02415-7 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 

関連項目

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外部リンク

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