さと子の日記
『さと子の日記』(さとこのにっき)は、1982年にひくまの出版より出版された書籍である。ISBN 9784893170156。
概要
編集先天性胆道閉鎖症によって14歳でこの世を去った著者のさと子が小学校入学の頃から死の間際まで書き綴った日記を、著者の死後、書籍としてまとめ、出版されたものである。一部、母の手記や藤沢友一による挿絵も含まれている。
先天性胆道閉鎖症は、肝臓と十二指腸を結ぶ胆道が先天的に閉鎖している病気である。胆汁が十二指腸に流れないため黄疸を引き起こし、放置すると肝硬変に進行して死亡してしまう危険性が高い。2008年現在、胆道の閉鎖を取り除く治療法がある(但し肝機能障害が完治するとは限らない)が、著者が生まれた時代には不治の病とされており、著者は14歳4ヶ月でこの世を去ることとなった。
入退院、通院を繰り返しながら養護学校に通う著者は、日々の出来事を日記に記すことが好きで、肝機能障害に悩まされていた死の直前まで日記を書き綴っていたと記されている。「生きること」を正面から捉えて日々を書き綴った本書は、出版された1982年3月から同年9月までに39万部、総計100万部を超えるベストセラーとなった[1]。また、出版年である1982年の青少年読書感想文全国コンクール課題図書(第28回)選定を始め、以下のような選定、推薦を受けている。
著者の略歴
編集著者の「さと子」こと鈴木聡子(すずき さとこ)は、1966年8月5日に静岡県榛原郡金谷町(現・島田市)に生まれる。先天性胆道閉鎖症は当時、不治の病と言われており、生後60日目に余命3ヶ月と医師より宣告されていたという。藁にもすがる思いで様々な病院を駆け回るも同じことを言われ、半ば諦めていたとき、親戚より日本大学板橋病院を紹介され、7ヶ月になったこの時期の手術は90%助からないと言われながらも手術を試みることとなった。この手術は成功するも、体力的にはあまり改善せず、その後4歳の頃、再度手術を試みる。
4歳の手術以降は体力も回復し、静岡県立天竜養護学校に1年遅れで入学。同学校付属の病棟に寝泊りし、「治療のための入院生活」ではなく「通学のための入院生活」を始めることとなる。さと子自身が記す日記は、小学1年生の4月18日から始まる。
小学6年生3学期以降、肝機能障害に伴う病状が重くなり始め、中学入学式は病床で迎えることとなってしまう。そして、1980年12月18日(中学1年生)、肝硬変によって14歳4ヶ月でこの世を去ることとなる。病状が重くなって以降は日記も滞りがちではあったが、中学1年生の6月18日までの日記が著書に記されている。また、死の直前である12月に入ってからも、手のふるえが止まれば年賀状を書くのだと語っていたという。
脚注
編集出典
編集- ^ “お仕事拝見!子どもの本の現場から - ひくまの出版”. 2009年1月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d 同書裏表紙より
- ^ “青少年読書感想文全国コンクール 第28回コンクール(1982年) 小学校高学年”. 全国学校図書館協議会. 2011年9月19日閲覧。
- ^ “群馬県教育委員会/本との出会い -ぐんまの子どもにすすめたい本200選-”. 2009年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月14日閲覧。
- ^ “千葉県教育委員会/推薦図書リスト 〜図書館司書・学校の先生が薦める本〜/2-3 小学校の先生が、小学生に薦める本(高学年向け)” (PDF). 2010年2月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “日本公文研究教育会/くもんのすいせん図書一覧”. 2009年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月14日閲覧。
- ^ “みんなにすすめたい一冊の本 小学生版”. 潮来市立図書館. 2011年9月19日閲覧。
- ^ “蘇州推薦図書200冊 5・6年用” (PDF). 2012年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月19日閲覧。
関連項目
編集- 障害を扱った作品の一覧
- 死後出版によって知られる日本の人物の一覧
- 先天性胆道閉鎖症
- 静岡県立天竜特別支援学校 - さと子が通っていた学校(当時は「静岡県立天竜養護学校」)