いなづま (護衛艦・初代)
いなづま(ローマ字:JDS Inazuma, DE-203、YAC-31)は、海上自衛隊の護衛艦。いかづち型護衛艦の2番艦。旧海軍の雷型駆逐艦「電」、吹雪型駆逐艦「電」に続き日本の艦艇としては3代目。
いなづま | |
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基本情報 | |
建造所 | 三井造船 玉野造船所 |
運用者 | 海上自衛隊 |
艦種 | 乙型警備艦→護衛艦(DE) |
級名 | いかづち型 |
艦歴 | |
計画 | 昭和28年度計画 |
発注 | 1953年 |
起工 | 1954年12月25日 |
進水 | 1955年8月4日 |
就役 | 1956年3月5日 |
退役 | 1977年3月15日(保管船に種別変更) |
除籍 | 1983年3月30日 |
要目 | |
排水量 |
基準 1,075トン 満載 1,300トン |
全長 | 88,0m |
最大幅 | 8.7m |
深さ | 5.43m |
吃水 | 3.09m |
主機 | 三井/バーマイスター 950VBU-60ディーゼルエンジン × 2基 |
出力 | 12,000PS |
推進器 | スクリュープロペラ × 2軸 |
速力 | 最大速 25.9ノット |
燃料 | 154.3トン |
航続距離 | 16ノットで5,000海里 |
乗員 | 162名 |
兵装 |
54式50口径3インチ単装砲 × 2基(1959年撤去) Mk.34 50口径3インチ単装速射砲 × 2基(1959年装備) Mk.1 40mm連装機関砲 × 2基(1959年1基撤去) 54式ヘッジホッグ × 1基 54式爆雷投射機(K砲)× 8基 54式爆雷投下軌条 × 2条 |
FCS |
Mk.51 射撃指揮装置 × 3基(1959年2基撤去) Mk.63 砲射撃指揮装置 × 1基(1959年装備) |
レーダー |
OPS-2 対空 OPS-3 対水上 |
ソナー |
QHBa 捜索用 QDA 攻撃用 |
艦歴
編集「いなづま」は、昭和28年度計画乙型警備艦1203号艦として、三井造船玉野造船所で1954年12月25日に起工され、1955年8月4日に進水、1956年3月5日に就役し、呉地方隊に編入された。
1956年5月1日、第1護衛隊群に編入。同年8月1日、第1護衛隊群隷下に第7護衛隊が新編され、「あけぼの」、「いかづち」とともに編入された。
1958年12月10日から1959年3月27日の間で特別改装工事が実施され、54式50口径3インチ単装砲をMk.34 50口径3インチ単装速射砲に換装、前部の40mm連装機関砲を撤去し、艦橋上の射撃指揮装置をMk.51からMk.63に換装、Mk.34射撃用レーダーも搭載された。また、戦闘区画諸室への冷房装置が施された。
1960年6月4日、津軽海峡東口付近で夜間対潜訓練中に僚艦の「あけぼの」が衝突し艦橋が破損、「いなづま」の乗員2名が死亡し、2名が負傷する事故が発生した。海自の事故調査委員会によれば、原因は「あけぼの」の操艦ミスであった。 その後、応急修理のため函館に向かい函館どつくの岸壁に係留していたが、同年6月15日、ガソリンを使用した清掃作業中に火災が発生、乗員3名が死亡、乗員4名とドック従業員2名が負傷する事故が起きた[1]。ちなみに、初代電、2代電、4代いなづまも衝突事故を起こしている。
1964年12月10日、第7護衛隊が第3護衛隊群隷下に編成替え。
1977年3月15日、保管船に種別変更され、艦籍番号がYAC-31に変更。舞鶴教育隊に係留され、停泊実習艦として使用された。
脚注
編集- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、142-149頁。ISBN 9784816922749。
参考文献
編集- 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
- 『世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)