ブリトニー・スピアーズ
ブリトニー・ジーン・スピアーズ(Britney Jean Spears、1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター[3]、女優[4]。日本での愛称はブリちゃん[5]。1990年代末から2000年代半ばにかけて、アメリカのポップシーンを代表する女性シンガーとして活躍した[6]。身長163cm[7]。2000年代最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした9枚のオリジナルアルバム中5枚が全米チャート1位を獲得し、全世界トータル・セールス1億枚を誇る。
ブリトニー・スピアーズ | |
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(2014年撮影) | |
基本情報 | |
出生名 | ブリトニー・ジーン・スピアーズ |
生誕 | |
学歴 | パークレーン・アカデミー卒業[1] |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1996年 - |
レーベル | |
配偶者 |
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著名な家族 |
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公式サイト | Britney Spears - Official Site |
来歴
編集生い立ち
編集ミシシッピ州マコームにてイングランド系アメリカ人の両親の間に生まれ、ルイジアナ州ケントウッドで育つ[8][9][10]。妹は女優のジェイミー・リン・スピアーズ。
8歳にしてディズニー・チャンネルの『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションに応募するも、「年齢が低すぎる」という理由で落選する。その後、11歳で『ミッキーマウスクラブ』のオーディションに再び応募し、合格。番組にレギュラー出演し、14歳でジャイヴ・レコードと契約する。
歌手としての成功
編集16歳でシングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」("...Baby One More Time", 1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによって製作され、アメリカだけで1726万枚、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。
2000年5月、2枚目のアルバム『ウップス!…アイ・ディド・イット・アゲイン』("Oops!... I Did It Again")はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。
アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『ブリトニー』("Britney", 2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『イン・ザ・ゾーン』(In The Zone, 2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドでリスナーを圧倒し、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「エヴリタイム」("Everytime")のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。その代わり、ブリトニーが頭から血を流し溺れるシーンに変更された。またこの曲は当時付き合っていたジャスティン・ティンバーレイクとの破局を歌ったものとされている。
ブリトニーのミュージック・ビデオ「トキシック」が、イギリスの『テレグラフ』紙の行った「最もセクシーなミュージックビデオ」(The Sexiest Music Video)のランキング1位に選ばれた。
2004年に発売されたベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ』("Greatest Hits: My Prerogative")はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、日本でも80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。
2005年、ブリトニーが制作していた『オリジナル・ドール』の発売が禁止にされた。原因として有力視されているのは、当時制作中だったデモを事務所に無断で放映した事。この事実は、のちに『ブリトニースピアーズの幻のアルバム』と世に知られることになった。アルバム発売の代わりに「B・イン・ザ・ミックス」と「カトリック」が発売される。
奇行・復帰
編集2007年初頭より突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[11]、パパラッチを傘で叩いたりなどの奇行が見られた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10か月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴのライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。
フロリダ州オーランドとマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで「ドゥ・サムシン」("Do Somethin'")を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。7月、シンディ・ローパーのコンサートに特別出演する予定だったブリトニーが急遽出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためと言われる。
8月に新曲「ギミ・モア」("Gimme More")を発表。楽曲の評価は比較的高いが、9月にMTV Video Music Awardsでパフォーマンスをし、高視聴率をマークすることは出来たが精彩を欠き、華々しい復活を印象付けることはできなかった[12]。ダンスにまるでキレがないうえに顔は無表情であり、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち、口パクのタイミングも合っていなかった。このため各メディアやネット上で、「ブリトニー、復帰失敗」などと酷評を受けた。
10月には、裁判所が命じた事前に日時を特定しない薬物検査を受けなかったため親権を失い、面会権のみに制限されたが、その面会権も一時的に差し止められた。
11月に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『ブラックアウト』(Blackout)を発売する予定だったが、インターネット上での流出があまりにひどいために、急遽10月30日に発売が早まった。『ブラックアウト』からの先行シングル「ギミ・モア」はプラチナムを獲得した。アートワークの中には挑発的な服装をしたブリトニーが教会の懺悔室の中で神父と並んで写っている写真があり(うち1枚は彼女が神父の膝の上に乗っている)、カトリック教会から「教会を嘲るのをやめ、エンターテイナーとして徹するべきだ」と強い抗議を受けた。なお、日本版の発売は予定通り11月14日である。『ビルボード』チャートでは1週間に29万枚のセールスを記録し、5作連続の1位も期待されたが、イーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』に阻まれ初登場2位(日本では4位)。全世界300万枚を売り上げ、フランスで開催されたNRJ Awardsでベスト・インターナショナル・アルバム賞を獲得。
なお、2007年にはマジシャンであるクリス・エンジェルとの交際が、パパラッチにより明らかになっている。
2008年1月3日、ブリトニーはこの日の午後、ビバリーヒルズの自宅で2人の息子と過ごしていたが、元夫ケヴィン側に息子たちを引き渡すことを拒否。警察が出動する事態になり、ブリトニーは何らかの物質による合併症状を発症しているとされ、精神状態の医学検査を行なうため救急車で病院に搬送された[13]。5日には病院を退院した。この騒動により子供達との面会権を失ってしまう。
1月31日、ブリトニー自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送された[14]。3日間の集中鑑定・治療の結果、引き続き14日間の治療が必要と診断されていたブリトニーが、2月6日午前11時30分頃に入院していたUCLA病院の精神病棟を緊急退院した。UCLA病院の担当医は、法律の下にブリトニーを入院させていたが、ブリトニーの容体は安定し、自分や他人に危害を加える恐れはないと判断し、ブリトニーが退院を望んでいるために、これ以上の入院は必要ないと判断した。入院直後は抵抗していたブリトニーだったが、病院内では診察に協力的でとてもおとなしかったという。
その後、父親のジェイミーがロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられてブリトニーをサポートしている[15]。
2月22日、1月3日以来会っていなかった息子達の面会権を得ることが出来た。2月中旬から6 - 15歳で15名位のダンスレッスンの講師をブリトニーが行い、子供やその親から絶賛されている。クラスの子供は全員ブリトニーが大好きで、子供の親も「子供と一緒にいるブリトニーは素晴らしいの一言です。子供はいつもブリトニーと一緒に踊って、ブリトニーがきっかけを与えてくれたんです」と絶賛。そしてブリトニー自身もかなり癒され、楽しんでいるという。また子供たちと一緒に撮った写真をフォト・エージェンシーを通して世の中に売り出し、売り上げは子供達のガン治療を行うテネシー州メンフィスのSt.Jude Children's Research Hospitalに贈られチャリティーにも貢献している。
完全復活
編集2008年3月24日、CBSで人気放送中のコメディテレビドラマ『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother)にゲスト出演し、1067万人の視聴者を獲得し、放送開始からの3年間で過去最高記録をマークした。いまだにブリトニーに対する注目度が高いことを証明したことになる。テレビにカメオ出演するのは、2006年のNBC『ふたりは友達? ウィル&グレイス』(Will & Grace)以来となる。また、ブリトニーがドラマの中で着ていた衣装がチャリティー・オークションに出品され、集まった収益金は環境保護団体の天然資源保護協議会に送られた。
6月25日には子供達と一晩過ごせる権利を裁判所から下され、2006年の離婚以来続いていた親権争いは7月18日に和解が成立した。 和解では、フェダーラインが息子2人の親権を維持することとなった。
そして9月7日、MTV Video Music Awardsのメインとして元気な姿を見せ、見事3冠を獲得し、華々しい復活を遂げた。そしてまた、12月の自身の誕生日の2日に復活作『サーカス』(Circus)をリリース。ファーストシングルの「ウーマナイザー」("Womanizer")が9月26日にラジオで解禁された。その「ウーマナイザー」はitunes USAで1週間に28万6千ダウンロードされ、Billboard Hot 100にて96位から1位という当時歴代最高のジャンプアップによりシングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」以来の1位を獲得した[16]。
2008年はブリトニーの年と言われ、2008年のYahoo!検索ワードで1位だった[17]。過去8年のうち7年間はブリトニーが1位をとっている。
2009年に開催されたの音楽祭“NRJアウォーズ”では“最優秀インターナショナル女性アーティスト”およびシングル「ウーマナイザー」での“最優秀シングル”と、2部門で賞を獲得するなど健闘をみせた。「ウーマナイザー」はブリトニーのシングルの中で最も売れたシングルとなった。
そして、『サーカス』("Circus")は全米初登場1位をとり、6週連続でTOP10内にランクインしている。発売2か月で前作を超える全世界セールス400万枚を突破し、『ブラックアウト』の売上を抜いた。
2009年3月3日、生まれ故郷のあるルイジアナ州のニュー・オリンズ・アリーナにて、約5年振りとなるツアー「THE CIRCUS STARRING BRITNEY SPEARS」をスタートさせた[18]。このツアーは、29都市36公演のほぼ全てが約2万人収容の大会場、計50万人以上を動員する大アリーナ・ツアー。6月3日よりロンドンのO2アリーナで8公演を開き、ロンドンだけで十数万人を動員した。
同年に新曲「スリー」("3")を含むベスト盤の『コンプリート・ヒット・シングルズ』を発表。「スリー」はブリトニーのデビュー曲「ベイビー・ワン・モア・タイム」や「ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン」、最新作の「イフ・ユー・シーク・エイミー」などを手掛けたマックス・マーティンによる作品である。約25万5千回ダウンロードされ、Billboard Hot 100で自身3曲目の1位を初登場で獲得した。初登場のシングルが1位となったのは、テイラー・ヒックスの「Do I Make You Proud」(2006年)以来3年ぶり。また、米オーディション番組『アメリカン・アイドル』出身者ではないアーティストがビルボードで初登場1位を獲得したのは、セリーヌ・ディオンとR・ケリーの「アイム・ユア・エンジェル」以来11年ぶりとなる。また1位をとったことをツイッターでは、「私のファンに「スリー」がBillboard Hot 100で1位になれたことにお礼を言います。私は世界で最も偉大なファンに恵まれていると思ってます。私は、みんなのために頑張っているので、みんなが「スリー」を好きならとても満足です。〜 Britney」とコメントしている。同月、イギリスのパーク・クリスマス・セイビングが行ったアンケートで、セレブママの1位に選ばれた。
2010年に発売した『ファム・ファタール』("Femme Fatale")は全米初登場1位を記録、プラチナム認定された。
2014年にアルバム『ブリトニー・ジーン』("Britney Jean")を発表、全米4位を記録するほか、中国では1位を記録する大ヒットとなった。
2016年にはビルボード・ミュージック・アワードでミレニアム・アワードを受賞した。
米Yahoo!が発表した、21世紀最も売れたシングルトップで、ブリトニーは4位「トキシック」、5位「ウーマナイザー」、6位「ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン」でTop20のうち3曲もランクインした。ほかに、3曲ランクインしたのは、シャキーラだけである。
世界の音楽シーンを「ポップ・アイコン」として引っ張っていたが2019年からは事実上主立った音楽活動を停止している。
私生活
編集中学はニューヨークの公立舞台芸術校、The Professional Performing Arts School (PPAS)に在籍。同時期のPPASには歌手のアリシア・キーズが在籍していた。PPAS時代に名声が急上昇、キャリアに集中するためネブラスカ大学高等学校(UNHS)の通信教育にて高校卒業資格を取得した。
2000年にイン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクと交際するが、2002年に破局。2023年にスピアーズが出版した回顧録で二人が19歳の頃にティンバーレイクの子供を孕っていた事が明らかにされた。スピアーズは子供を産みたいと強く思っていたが、ティンバーレイクは妊娠を喜ばず、父親になるのを嫌がったためスピアーズは中絶せざるを得なかった[19]。更にスピアーズは交際中に振付師のウェイド・ロブソンと性行為を伴わない一夜限りの関係を持った事があるが、ティンバーレイクも複数の有名人と浮気していたと綴っている[19]。別れ話はティンバーレイクから切り出し、テキストメッセージ一通で別れを告げられた[19]。この告白に対してジャスティンの盟友ティンバランドが「あの女(ブリトニー)に口輪をはめろ」と発言し炎上した[20]。
2004年1月、Hollywood News Wireによると1月4日にネバダ州ラスベガスで幼なじみのジェーソン・アレキサンダーと酔った勢いで結婚するも、すぐに思い直して55時間後には婚姻無効を申請し、離婚するという騒動を起こした。この離婚の際にブリトニーは慰謝料を支払うことになり、約5600万円を支払ったという。
2004年9月には妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケヴィン・フェダーラインと結婚することを発表。9月18日には結婚式を挙げ、10月7日に婚姻届を提出した。
2004年11月にはベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ』を発売(アルバムのタイトルにもなっているヒット曲「マイ・プリロガティヴ」はボビー・ブラウンのカバー曲)し、休業宣言した。
2005年8月に妊娠を公式発表。その後、雑誌でマタニティーヌードを披露した。
2005年9月、Hollywood News Wireによれば、ブリトニーがロサンゼルスのホテル滞在した時に使用したとみられる陽性反応の出た妊娠検査器がチャリティ・オークションにかけられた。この妊娠検査器は滞在先のホテルの従業員がトイレのゴミ箱から発見したもので、オンライン上でカジノを行う会社ゴールデンパレスによって約50万円の値で落札されたという。この落札金は小児ガン患者や肢体不自由児を支援する団体に寄付されたという。
2005年9月14日に帝王切開で長男のショーン・プレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いていた。「サムデイ」("Someday (I Will Understand)")のミュージックビデオでは大きくなった腹をさするシーンもある。出産数か月後に第二子を妊娠。
2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。
2006年11月7日、ケヴィン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。
2006年11月、ケヴィン・フェダーラインと離婚申請をしたばかりのブリトニーがラスベガスのカジノで大儲けしたという。ブリトニーは賭け金の高いプレイヤー専用のコーナーでブラックジャックをプレーして10万ドル(日本円で約1200万円)も儲けた。さらにこのカジノに来る前に参加したパーティーでラテン系俳優のマリオ・ロペスと一緒に参加しているところをパパラッチされ、新恋人ではないかと騒がれている。
2007年1月、前夫のケヴィンと顔やスタイルがそっくりのモデル兼俳優であるアイザック・コーエンと親密交際が報道された。ブリトニー自身もアイザックを「特別な人」と表現しており、1泊480万円もするラスベガスのホテルで宿泊する姿をパパラッチに撮られている。
2007年2月、新恋人のアイザック・コーエンと交際わずか3か月で破局したことがわかった。アイザックはあまりに目まぐるしい環境の変化に耐えられなくなってしまったらしく、アイザックの知人は報道機関に「アイザックは本当にブリトニーが好きだったし、彼女のために何でもしてあげたかったらしいけど、もう耐えられなかったみたいなんだ」と語っている。
2007年8月9日、元夫であるケヴィン・フェダーライン(英語: Kevin Federline)がブリトニーの度重なる奇行やナイトクラブなどの夜遊びから共同で持っていた子供の養育権をブリトニーから奪う書類を裁判所に提出した。
2007年9月、ブリトニーはあて逃げと無免許運転の容疑で告訴された。[21]ブリトニーは2007年8月6日に店の駐車場で右折する際に見知らぬ車のバンパーにあて、そのまま逃走した上にカリフォルニア州の免許を所持していなかった。この事件はあてられた車の持ち主が警察に届けたことがきっかけとなり発覚した。
2007年10月1日、元夫のケヴィンと親権を争っていたブリトニーだが、一時的に親権が奪われることが決定した。ブリトニーが親権を失うに至った理由としてドラッグやアルコールを常用している疑いがあり、検査を受けるようにいわれたがそれを拒否し、さらにカリフォルニア州でのあて逃げと無免許運転も響いたという。裁判でブリトニーは今後、カウセリングに出席し、週に2度のランダムな薬物検査を受けることを命じられた。さらにブリトニーはケビンに配偶者のサポートとして月に2万ドル(日本円で約320万円)を払い続けなくてはならないといわれている。
2008年9月、ブリトニーがチャリティのために自身のポートレートをオークションに出品したという。このポートレートはダニエル・マルツマンによって描かれた油絵で、胸のあたりで腕組みをし、両目を閉じたビキニ姿のブリトニーが描かれていて、ブリトニーの直筆のサインも入っているという。ポートレートはeBayというオークションサイトで1万ドル(日本円で約108万円)からオークションが開始され、9月10日に終了したという。
2009年1月、Daily Mirrorによるとブリトニーが契約金12億4000万円で自叙伝を出版する計画が進められているという。この自叙伝は数年にわたり数冊を出版する予定で、内容は「お騒がせセレブとして名を馳せた成功の頃、結婚・出産を通して徐々に目立ってきた奇行と更生施設での生活、そして2008年の復活まで」だという。ブリトニーはこれまでの事を日記を書きためているらしく、その内容を載せていくのではないかといわれている。
2009年3月、ドラッグやアルコールなどの問題を乗り越え完全復活をし、ワールドツアー『The Circus Starring Britney Spears』を開催。
2009年3月、兄の親友でブリトニーの代理人であるジェイソン・トラウィックと交際していることが発覚。
2009年4月、法的後見人である父のジェイミー・スピアーズの厳重な監視下のもとでツアーを行っていたブリトニーだが、ジェイミーが仕事でロサンゼルスに行っている間にツアーのバックダンサーを務めている21歳のGIO(本名チェイス・ベンツ)と親密な関係になっていることが発覚した。ブリトニーは彼に靴や服を買ってあげるなどお互いの関係を楽しんでいたが、父が仕事から戻ると何事もなかったかのように今まで通りに戻っていたという。以前、ブリトニーは「自分の恋人は自分で選びたい」と語っており、この親密な関係は遊びではないのではといわれた。
2009年4月、バックダンサーとの親密ぶりが報道されたばかりのブリトニーが、不動産投資家で億万長者のジョン・サンダールとの婚約のニュースが報じられた。ジョン・サンダールと最初に出会ったのはリハビリ施設にいた時で関係者によれば今回のツアー中にニュージャージーで再会し、二人の関係は親密になり、4月初旬にはサンタモニカのサンドウィッチ店のサブウェイの前でジョンが5億円のダイヤの指輪を手に突如ひざまずいてブリトニーにプロポーズしたという。さらに2人はジョンの親戚が所有するドイツの牧場で結婚式を挙げる計画もあるという。これに対し、ジョンは「一切、お話しすることはありません」と黙秘し、ブリトニーの広報も「すべてが事実無根」ときっぱり否定をしている。
2011年12月15日、恋人のジェイソン・トラウィックとの婚約を発表。ラスベガスのヒルトンホテルにて婚約パーティーを開催した。
2021年9月13日、恋人のサム・アスガリとの婚約を発表[22]。2022年4月に第3子を妊娠した[23]が翌月、流産を公表した[24]。同年6月9日、アスガリと結婚した[25][26]。
資産・金銭
編集2004年10月、Hollywood News Wireによればブリトニーはマリブに約7億円でケヴィン・フェダーラインとの新たな新居を購入したという。この新居は約6070平方メートルの敷地内に建てられており、2740平方メートルの広さがあるという。さらに寝室と浴室がそれぞれ8つあり、ジムやスパなどの設備も完備しており、庭にはテニスコートやプール、屋外キッチンもあるという。
2007年1月、経済誌『フォーブス』が『エンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性』のトップ20を発表し、ブリトニーは総資産121億円で12位にランクインした。
2008年9月、ブリトニーがロサンゼルスにある家を家具を全て備えつけて790万ドル(日本円で約8億7000万円)で売却することにしたという。この家は6つの寝室と6つの浴室があるルネッサンス調の家で敷地がおよそ700平米あり、図書館やウェット・バーまであるという。
2009年4月、『パレード』誌が「セレブの年収」を発表し、2008年度の年収が225万ドル(日本円で約2億2,500万円)であることがわかった[27]。
2009年9月、BANG Media Internationalによると、ラスベガスのミラージュ・ホテル内にあるお菓子屋シュガー・ファクトリーに立ち寄り、シュガー・ファクトリーのミルク・チョコレートを1箱、1本25ドルするロリポップを25本など総額3000ドル(日本円で約27万円)の買い物をしたという。関係者は「3,000ドルくらい買って、10袋を抱えて店を後にしました。子どもたちのためのお菓子やTシャツとバックダンサーのために高級ロリポップをたくさん買いました」とコメントしている。さらに店側は2,500ドル(日本円で約22万5,000円)分のお菓子をブリトニーのホテルに届けたという[28]。
2010年11月、米経済誌『フォーブス』が2009年6月1日から2010年6月1日までの1年間で「30歳未満の最も稼いだセレブ」を発表し、ブリトニーは6400万ドル(日本円で約57億6000万円)を稼ぎ、2位にランクインした。ブリトニーは100公演を開催したワールド・ツアー『The Circus Starring Britney Spears』の収益に加え、タブロイド紙や米大手のデパートチェーン『コールズ』とタッグを組んで生まれたブランド『キャンディーズ』のオリジナルの香水の売り上げなどの収入があったという[29]。
2010年12月、経済誌『フォーブス』が「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」を発表し、6,400万ドルを稼いで13位にランクインした[30]。同誌の2012年版では5800万ドルを稼いで7位にランクインした。これは女性アーティストでは1位、ソロアーティストでは4位[31]。
裁判
編集2007年11月、2005年に発売された「Do Somethin'」のミュージックビデオの中でブリトニーが乗っているピンク色のハマーにルイ・ヴィトン定番のモノグラムの桜柄と思われるような柄がダッシュボードにデザインされていることについて、仏ブランドのルイ・ヴィトンがブランドイメージを下げるとして訴えを起こした。この訴えに対して民事裁判所はルイ・ヴィトンの申し入れを受け入れた上で、ビデオを製作したプロデューサーに11万7600ドル(日本円で約1300万円)の賠償金の支払いを命じ、さらにビデオがネット上から削除されるまでの間、1日につき1470ドル(日本円で約16万円)を支払うように命じた[32]。
2007年11月、ブリトニーと元夫のケビンが子供の親権について争っていた裁判において、ブリトニーの金銭面での文書の内容が明らかになった。ブリトニーによって提出された文章によると、月収は約8500万円でその内、趣味とギフトや休暇に約1180万円、洋服に約180万円、食費に約55万円、携帯電話代に約29万円を使っていた。一方、元夫ケビンの2006年の収入は約50万円で、ブリトニーから子供の養育費として月々170万円を貰っていたという。
2008年12月、アクセス・ハリウッドによると、裁判所はブリトニーの父親ジェイミーを金銭などの後見人にしているが、アルバム『サーカス』のヒットによって多忙となったことから、ジェイミーの報酬を月1万ドル(日本円で約90万円)から月16,125ドル(日本円で約145万円)にアップすることを言い渡した。また、昇給前の仕事に関しても約338万円が支払われるという。これに加え、裁判官はジェイミーの仕事場の賃料として約10万円を毎月受け取る許可を出し、ブリトニーの兄でブリトニーの信託を管理しているブライアンにはジェイミーが後見人になる以前の報酬として約1,800万円が支払われ、弁護士たちには合計で約6,930万円が支払われることが決定した。この他にも1億3,500万円を保証金として設定するよう言い渡している[33]。
2010年10月、TMZ.comによると、ブリトニーの子どもの面倒を見ていた元ナニー(子守)のフェリアル・ザルタッシュが賃金未払いでブリトニーを訴えた。フェリアル・ザルタッシュはパーソナル・アシスタント兼ナニーとして雇われたものの、1か月後に辞職した。その1か月の仕事でもらうべきだった賃金の3万5,202ドル(日本円で約299万円)が未払いだった。フェリアル・ザルタッシュは1か月分の支払いの他に賃金未払いの罰金と残業代として1万9940ドル(日本円で約170万円)を要求している[34]。
受賞/ノミネート
編集グラミー賞
編集- 2000年 "Best New Artist" ノミネート
- 2001年 "Favorite Female Artist Pop or Rock Music" ノミネート
- 2001年 "Favorite Album Pop or Rock Music" ノミネート
- 2005年 "Best Dance Recording" 受賞
- 2009年 "Best Dance Recording" ノミネート
アメリカン・ミュージック・アウォーズ
編集- 2000年 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
- 2000年 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
- 2001年 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
- 2001年 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
TEEN CHOICE AWARDS
編集- 2000年 "Favorite Female Artist" 受賞
- 2000年 "Female Hottie of the year" 受賞
ゴールデンラズベリー賞
編集ディスコグラフィ
編集アルバム
編集スタジオ・アルバム
編集- 『ベイビー・ワン・モア・タイム』 - ...Baby One More Time(1999年)
- 『ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン』 - Oops!...I Did It Again(2000年)
- 『ブリトニー』 - Britney(2001年)
- 『イン・ザ・ゾーン』 - In The Zone(2003年)
- 『ブラックアウト』 - Blackout(2007年)
- 『サーカス』 - Circus(2008年)
- 『ファム・ファタール』 - Femme Fatale(2011年)
- 『ブリトニー・ジーン』 - Britney Jean(2013年)
- 『グローリー』 - Glory (2016年)
ベスト・アルバム
編集- 『グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ』 - Greatest Hits: My Prerogative(2004年)
- 『コンプリート・ヒット・シングルズ』 - The Singles Collection(2009年)
リミックス・アルバム
編集- 『B・イン・ザ・ミックス』 - B in the Mix: The Remixes(2005年)
- 『B・イン・ザ・ミックス2』 - B in the Mix: The Remixes vol.2(2011年)
シングル
編集- ベイビー・ワン・モア・タイム - "...Baby One More Time"(1998年)
- サムタイムス - "Sometimes"(1999年)
- (ユー・ドライブ・ミー)・クレイジー - "(You Drive Me)Crazy"(1999年)
- ボーン・トゥ・メイク・ユー・ハッピー - "Born To Make You Happy"(1999年)
- フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ブロークン・ハート - "From The Bottom Of My Broken Heart"(1999年)
- ウップス…! アイ・ディド・イット・アゲイン - "Oops!...I Did It Again"(2000年)
- ラッキー - "Lucky"(2000年)
- ストロンガー - "Stronger"(2000年)
- ドント・レット・ミー・ザ・ラスト・トゥ・ノウ(邦題:最後に知らせないで)- "Don't Let Me Be The Last To Know"(2001年)
- アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー - "I'm A Slave 4 U"(2001年)
- オーヴァープロテクテッド - "Overprotected"(2001年)
- アイム・ノット・ア・ガール、ノット・イエット・ア・ウーマン - "I'm Not A Girl, Not Yet A Woman"(2002年)
- アイ・ラヴ・ロックンロール - "I Love Rock 'N' Roll"(2002年)
- ボーイズ - "Boys"(2002年)
- アンティシペティング - "Anticipating"(2002年)
- ミー・アゲインスト・ザ・ミュージック feat. マドンナ - "Me Against The Music feat.Madonna"(2003年)
- トキシック - "Toxic"(2004年)
- エヴリタイム - "Everytime"(2004年)
- アウトレイジャス - "Outrageous"(2004年)
- マイ・プリロガティブ - "My Prerogative"(2004年)
- ドゥ・サムシン - "Do Somethin'"(2005年)
- サムデイ(アイ・ウィル・アンダースタンド) - "Someday (I Will Understand)"(2005年)
- アンド・ゼン・ウィー・キス - "And Then We Kiss"(2005年)
- ギミ・モア - "Gimme More"(2007年)
- ピース・オブ・ミー - "Piece Of Me"(2008年)
- ブレイク・ジ・アイス - "Break The Ice"(2008年)
- ウーマナイザー - "Womanizer"(2008年)
- サーカス - "Circus"(2008年)
- イフ・ユー・シーク・エイミー - "If U Seek Amy"(2009年)
- レーダー - "Radar"(2009年)
- スリー - "3"(2009年)
- ホールド・イット・アゲインスト・ミー - "Hold It Against Me"(2011年)
- ティル・ザ・ワールド・エンズ - "Till the World Ends"(2011年)
- アイ・ワナ・ゴー - "I Wanna Go"(2011年)
- クリミナル - "Criminal"(2011年)
- ウー・ラ・ラ - "Ooh La La"(2013年)
- ワーク・ビッチ - "Work B**ch"(2013年)
- パフューム - "Perfume"(2013年)
- プリティー・ガールズ feat.イギー・アゼリア - "Pretty Girls"(2015年)
- メイク・ミー… feat. G-Eazy - "Make Me..."(2016年)
- スランバー・パーティー feat. ティナーシェ - "Slumber Party"(2016年)
- スイミング・イン・ザ・スターズ - "Swimming In The Stars"(2020年)
- マッチズ feat. バックストリート・ボーイズ - "Matches"(2020年)
- ホールド・ミー・クローサー feat. エルトン・ジョン - "Hold Me Closer"(2022年)
未発表曲
DVD/ビデオ
編集- 『タイム・アウト・ウィズ・ブリトニー・スピアーズ』 - Time Out with Britney Spears(1999年)
- 『ライヴ・アンド・モア!』 - Live And More(2001年)
- 『ブリトニー: ザ・ビデオ』 - Britney: The Video(2001年)
- 『ライヴ・フロム・ラス・ヴェガス』 - Live From Las Vegas(2002年)
- 『イン・ザ・ゾーン』 - In The Zone(2004年)
- 『グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ DVD』 - Greatest Hits: My Prerogative DVD(2004年)
関連作品・商品
編集映画
編集- アイム・ノット・ア・ガール、ノット・イエット・ア・ウーマン Crossroads(2002年)(主演)
- 主題歌「I'm Not A Girl, Not Yet A Woman」
- オースティン・パワーズ ゴールドメンバー Austin Powers in Goldmember(2002年)(カメオ出演)
- 挿入曲「Boys <Co-Ed Remix>」
テレビ
編集- ザ・シンプソンズ The Simpsons(2000年)(声の出演)
- ふたりは友達? ウィル&グレイス Will & Grace(2006年)(カメオ出演)
- ママと恋に落ちるまで How I Met Your Mother(2008年)(アビー役)
- サウスパーク Britney's New Look(2008年)
- Xファクター USA The X Factor USA(2012年)(審査員)
著書
編集- "Britney Spears' Heart To Heart"(母親リンと共著)
- "A Mother's Gift"(母親リンと共著)
ゲーム
編集- "Britney's Dance Beat"(PlayStation 2)
香水
編集2004年に、エリザベス・アーデン社の"BRITNEY SPEARS"ブランドとして、ファーストフレグランスの"Curious(キュリアス)"を発表。
- "Curious"(2004年)
- "Fantasy"(2005年)
- "Curious In Control (Limited Edition)"(2006年)
- "Midnight Fantasy (Limited Edition)"(2007年)
- "Believe"(2007年)
- "Curious Heart"(2008年)
- 限定デザインのボトル。香りはCuriousと同一。
- "Hidden Fantasy"(2009年)
- "Circus Fantasy"(2009年)
- "Radiance"(2010年)
- "Cosmic Radiance"(2011年)
- "Fantasy Twist"(2012年)
- 既発の "Fantasy" と "Midnight Fantasy (Limited Edition)" の2種を組み合わせた形のボトルで発売したもの。
- "Island Fantasy"(2013年)
- "Fantasy Anniversary Edition"(2013年)
- "Fantasy Stage Edition"(2014年)
- "Fantasy The Nice Remix" / "Fantasy The Naughty Remix"(2014年、同時発売)
- "Rocker Femme Fantasy"(2014年)
来日公演
編集伝記映画
編集脚注
編集- ^ Peters, Beth (1 July 1999). True Brit: The Story of Singing Sensation Britney Spears. Random House Digital. pp. 11-12. ISBN 978-0-345-43687-0 10 July 2012閲覧。
- ^ a b c d Huey, Steve. Britney Spears Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年5月26日閲覧。
- ^ “Britney Spears Announces Miscarriage In Heartbreaking Note With Sam Asghari: This Is A Devastating Time”. outlookindia.com. Outlook Digital (2022年5月15日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “40歳の人気女優 夏までの妊娠が目標 子作りに励み「赤ちゃんのことで頭が一杯」”. デイリースポーツ online. デイリースポーツ (2022年4月1日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “ブリちゃん1日でリハビリ断念”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2007年2月23日). 2007年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月26日閲覧。
- ^ “米歌手ブリトニー・スピアーズさん、無期限活動休止 父の看病で”. AFPBB News (2019年1月5日). 2019年1月31日閲覧。
- ^ Britney Spears - Biography - インターネット・ムービー・データベース
- ^ Britney Spears' newly-discovered British family
- ^ Ancestry of Britney Spears
- ^ Spears, Lynne; Craker, Lorilee (2008). Through the Storm: A Real Story of Fame and Family in a Tabloid World. テネシー州: Thomas Nelson. p. 4. ISBN 1595551565
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、なんとスキンヘッドに”. REUTERS (2007年2月18日). 2009年11月8日閲覧。
- ^ “B・スピアーズ、MTVアワード授賞式で復帰”. REUTERS (2007年9月10日). 2009年11月8日閲覧。
- ^ “米歌手スピアーズさんが救急車で病院に”. AFPBB News (2008年1月4日). 2009年11月7日閲覧。
- ^ “米歌手スピアーズさん、再び救急車で病院に”. AFPBB News (2008年1月31日). 2009年11月7日閲覧。
- ^ “ブリトニーさんの父親、成年後見人期間が無期限に”. AFPBB News (2008年10月29日). 2009年11月7日閲覧。
- ^ “B・スピアーズ、シングルチャートの首位獲得”. REUTERS (2008年10月16日). 2009年11月8日閲覧。
- ^ “08世界ヤフー検索ワードランキング、ブリトニーが1位”. AFPBB News (2008年12月2日). 2009年11月7日閲覧。
- ^ “ブリトニー完全復活!米ニューオーリンズで5年ぶりのツアーがスタート”. AFPBB News (2009年3月4日). 2009年11月7日閲覧。
- ^ a b c Yoko Nagasaka (2023年10月23日). “ブリトニー・スピアーズが回顧録『The Woman in Me』で明かした15の衝撃事実”. ELLE. ハースト婦人画報社. 2023年10月27日閲覧。
- ^ Zemler, Emily (8 November 2023). “Timbaland Apologizes After Saying Justin Timberlake Should Have ‘Put a Muzzle’ on Britney Spears”. Rolling Stone 30 June 2024閲覧。
- ^ “B・スピアーズ、交通違反に関連して警察に出頭”. REUTERS (2007年8月1日). 2009年11月8日閲覧。
- ^ “ブリトニー・スピアーズが恋人のサム・アスガリと婚約。指輪を投稿して「信じられない!」”. ハフポスト (2021年9月13日). 2022年6月30日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2022年4月11日). “ブリトニー・スピアーズ、第3子を妊娠。”. Vogue Japan. 2022年6月30日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2022年5月17日). “ブリトニー・スピアーズ、流産を公表。”. Vogue Japan. 2022年6月30日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2022年6月11日). “ブリトニー・スピアーズ、サム・アスガリと挙式! 豪華セレブが集ったアットホームなウエディングに潜入。”. Vogue Japan. 2022年6月30日閲覧。
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、トレーナーの恋人と3度目の結婚へ。|Culture|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)”. madameFIGARO.jp(フィガロジャポン) (2022年6月10日). 2022年6月30日閲覧。
- ^ “アンジェリーナ・ジョリー敗北!2008年度の稼ぎはジェニファー・アニストンの勝ち!”. シネマトゥデイ (2009年4月14日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、お菓子屋で買い物 総額27万円!”. シネマトゥデイ (2009年9月30日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “ビヨンセが30歳未満の最も稼いだセレブに!ブリトニー意外に2位でレディー・ガガは3位!-経済誌フォーブス”. シネマトゥデイ (2010年7月28日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “今年エンターテインメント業界で最も稼いだ人物決定!2位にジェームズ・キャメロンで約172億円!”. シネマトゥデイ (2010年12月28日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “最も稼いだTOP25アーティスト発表!1位は1億ドル以上のアノ人”. サーチナニュース (2012年11月30日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、ルイ・ヴィトンに訴えられる!”. シネマトゥデイ (2007年11月22日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “ブリトニーの後見人が大忙し!裁判所が計1億3,500万円以上の支払いを許可”. シネマトゥデイ (2008年12月24日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、賃金未払いでナニーから訴えられる”. シネマトゥデイ (2010年10月4日). 2014年3月12日閲覧。
- ^ ブリトニー・スピアーズ 来日公演特設サイト 2017年3月31日付
- ^ Frank, Matthew. “Exclusive: Britney Spears' Biopic Lands at Universal in Massive Deal” (英語). theankler.com. 2024年8月2日閲覧。
外部リンク
編集- Sony Music Online
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