鳥取治郎八
鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日(嘉永6年4月8日)[1] - 1936年(昭和11年)3月22日[2])は、日本の実業家、資産家[3]、篤農家[4]、大地主[5][6]、香川県多額納税者[7]。合資会社信正社有限責任社員[2]。讃岐農工銀行監査役[5]。族籍は香川県平民[5][8]。憲仁親王妃久子は曽孫。承子女王、千家典子、守谷絢子は玄孫。
人物
編集讃岐国(現・香川県)出身。鳥取為三郎の長男[5]。1886年、家督を相続した[8]。農業を営んだ[1][7]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。金持ちであるが驕らず勤倹力行を旨とし家業の発展を図った[6]。公共慈善の事に接すると私財を投じて惜しむ所はなかった[6]。住所は香川県三豊郡笠田村[8]。
家族・親族
編集- 鳥取家
脚注
編集- ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』74-77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b 『官報 1936年06月05日』官報 第2826号 191頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月25日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』と17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b c 『大正人名辞典』35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』69 - 71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』と20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b 『讃岐人名辞書』ト之部162 - 163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』香川5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 梶原竹軒監修『讃岐人名辞書』高松製版印刷所、1933年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1936年06月05日』日本マイクロ写真、1936年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。