高木 孝詮(たかぎ たかのり、1905年9月19日-1981年9月22日)は、日本法学者。専門は、刑法・法学概論。元八幡大学学長。香川県出身。

履歴

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人物

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讃岐の塩・砂糖・綿・を生産する豪農家の長男として生まれる。 幼少の頃は糀屋の坊ちゃんと呼ばれていた。 13才で香川県立丸亀中学校に入学しその後香川師範学校に入学、 一旦琴平の小学校に勤務した。大正14年に岡山第六高等学校に進学し昭和3年に 九州帝国大学法文学部に入学した。帝大では法制史金田平一郎教授に師事した。 その後大学院で研究生となるが、昭和13年に九大法文学部国文科に再入学し江戸時代の 町人文学の研究に没頭した。卒論は「西鶴における町人の経済的側面からの研究」であった。 その後金田教授の推薦により九州専門学校の教授に就任した。 九専では独逸語・民法・倫理学の授業も受け持ち、八幡大学での専門の刑法学以外にも多くの講義を担当していた。

また高木は昭和22年戸畑専門学校設立時校歌(正確には昭和15年11月3日に発表された山田耕作作曲、宇賀田順三作詩の九州専門学校校歌の作詩部分の改作)として山田耕作の作曲に自ら作詩した。これは現在の九州国際大学学歌として今日に至っている。[3]

昭和52年4月八幡大学枝光会館に胸像が建つ。[4]

著書論文

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  • 『二宮先生語録抄』 社会体制研究所  1948年
  • 『破壊活動防止法釈義』  二克会   1953年
  • 『日本国憲法における刑事関係規定と人権思想』 1954年
  • 『法律学原論』    関書院     1954年 


対外活動

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北九州教育委員会委員長

九州船員地方労働委員会会長 昭和40年~昭和57年 [5]

参考文献

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八幡大学史 1980年10月 松隈清編集 学校法人八幡大学

脚注

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  1. ^ 八大学園だより創刊号「わが学園を培う人々(1)高木孝詮教授」1967年5月1日発行
  2. ^ 九州国際大学同窓会 橘會50年史 資料編 1975年11月3日叙勲の記述 2003年10月 288頁
  3. ^ 九州国際大学学歌
  4. ^ 九州国際大学同窓会 橘會50年史 資料編 290頁
  5. ^ 日本財団図書館 九州運輸要覧 九州船員地方労働委員会の概要より歴代会長の欄