飯田九一
日本の日本画家、俳人
飯田 九一(いいだ くいち[1]、1892年10月17日 - 1970年1月24日)[2] は、日本の日本画家、俳人[3]、俳諧関係資料の収集家[4]。
飯田 九一 いいだ くいち | |
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生誕 |
1892年10月17日 神奈川県橘樹郡大綱村 |
死没 | 1970年1月24日(77歳没) |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 日本画、俳句 |
運動・動向 | 香蘭会 |
受賞 |
第1回横浜文化賞 1952年 |
影響を受けた 芸術家 | 川合玉堂 |
経歴
編集神奈川県橘樹郡大綱村(現在の横浜市港北区の一部)の江戸時代以来の素封家に[1]、三男として生まれた[3]。父・快三は、大綱村長や神奈川県議会議員を務めた人物で、飯田家の家長の名である助太夫を第11代として襲名し、海山と号した有力者であった[5]。
東京美術学校を卒業し、さらに川合玉堂の下で日本画を修行し、帝国美術院展覧会(帝展)などで作品を発表した[3]。
後には俳画に取り組み、自ら主宰する「香蘭会」で指導にあたった[3][6]。
1952年には第1回横浜文化賞の受賞者のひとりとなった[7]。
飯田は、松尾芭蕉、宝井其角、与謝蕪村らの真筆など、多数の短冊・色紙などからなる俳諧関係の資料を収集したが、このコレクションは神奈川県の県史編集室に寄託され、その後、神奈川県立文化資料館、神奈川県立図書館が管理して現在に至っている[3]。
親族
編集脚注
編集- ^ a b “港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北) 第37回 港北の有名人は?”. 大倉精神文化研究所 (2002年). 2014年5月28日閲覧。
- ^ 横浜俳話会『横浜の俳人たち 戦前編』横浜市教育委員会、1974年、10頁。
- ^ 神奈川県立図書館調査部地域資料課『飯田九一文庫目録』神奈川県立図書館、2010年。
- ^ “飯田九一文庫の百人(あ-お)”. 神奈川県立図書館. 2014年5月28日閲覧。
- ^ “千草庵”. 千草庵. 2014年5月28日閲覧。
- ^ “横浜文化賞過去の受賞者一覧”. 横浜市. 2014年5月27日閲覧。
- ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 46頁.
- ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 47頁.
参考文献
編集- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。