須知城
須知城(しゅうちじょう)は、京都府船井郡京丹波町須知市森にあった中世の日本の城。
須知城 (京都府) | |
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別名 | 志宇知城、市森城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 須知氏、明智氏 |
築城年 | 不明(南北朝時代) |
主な改修者 | 明智光秀 |
主な城主 | 須知景光 |
廃城年 |
観応3年・正平7年(1352年) 天正10年(1582年) |
遺構 | 石垣、曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | 町指定史跡 |
位置 | 北緯35度08分32.0秒 東経135度26分16.6秒 / 北緯35.142222度 東経135.437944度 |
地図 |
沿革
編集南北朝の動乱では南朝方に属していた為、北朝方から度々攻められることとなる。 観応3年/正平7年(1352年)丹波守護代荻野朝忠に属した中津川小次郎秀家の軍勢によって須知城は落城となる[1]。
戦国時代に入ると、織田信長の命を受けた明智光秀による丹波攻略が行われる。
天正元年(1573年)の織田信長の丹波攻略では、明智光秀に協力的であったが、須田元秀が八上城攻防による負傷で死亡し、その後、織田氏から須知氏は離反する。 しかし、天正4年(1576年)頃となると城は明智光秀に攻め落とされ明智氏のものとなる。
その後の城は、明智氏の手で今の遺構のような城へと改修され、石垣などが整備される。
アクセス
編集鉄道
編集自動車
編集その他
編集御城印
編集城跡と場所は異なるが、御城印を、京丹波町観光協会にて1枚300円で取得することができる。
脚注
編集- ^ 『遠山家文書』
参考文献
編集- 『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年。
- 『図解 近畿の城Ⅰ』戎光祥出版、2014年。
- 『戦国の山城を極める 厳選22城』学研プラス、2019年。