韓柄寀
大韓民国の裁判官、政治家、弁護士(1933-)
韓 柄寀(ハン・ビョンチェ、朝鮮語: 한병채、1933年7月3日 - )は、大韓民国の裁判官、政治家、弁護士。第8・9・10・11代韓国国会議員。
経歴
編集日本統治時代の朝鮮の大邱に生まれた。高麗大学校政治学科卒業。高等考試司法科合格後、春川、ソウル、大田、大邱で判事を10年間務め、義城支院長も務めた[1][3]。
故郷の大邱で弁護士を開業した後、第8代総選挙に新民党の公認で立候補して当選した。国会議員を4期務めたほか、新民党広報担当、国会文教公報常任委員長、国会第30回アジア・太平洋国会議員連合韓国代表および団長、88ソウルオリンピック組織委員と執行委員、国会法制司法常任委員長、憲法裁判所の招待常任裁判官および憲法裁判官を務めた。退任後は弁護士に復帰し、憲政裁判研究所を開設した[1][4]。
不祥事
編集憲法裁判所裁判官の在任中、韓は論文で中央大学校法大教授の李相敦の修士論文を脚注も含めて34か所以上剽窃したことに対し、李は1991年8月31日に著作権紛争調停申請を著作権審議調停委員会に提出した[5][6]。その後、韓は李に対し公式謝罪をして賠償した[6]。
脚注
編集- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “국회개원 30돌” (朝鮮語). 중앙일보 (1978年5月31日). 2023年10月19日閲覧。
- ^ “제10대 국회의원선거 경북 제1선거구 국회의원 한병채 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “제12대 국회의원선거 대구 서구중구 국회의원 한병채 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “"헌재 재판관이 논문 표절" 이상돈 교수,한병채씨 상대 저작권분쟁조정신청”. NAVER Newslibrary. 한겨레 (1991年9月3日). 2023年10月19日閲覧。
- ^ a b “[미디어워치] 1964년 이후 논문 표절의 역사가 한눈에” (朝鮮語). www.mediawatch.kr (2014年12月29日). 2023年10月19日閲覧。