雁門関(がんもんかん, Yanmen Pass)は、別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来の関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。2001年に全国重点文物保護単位に指定された。中国の5A級観光地(2017年認定)[1]

雁門関
万里の長城の一部をなす
所在地 中国山西省
座標 北緯39度11分13秒 東経112度51分48秒 / 北緯39.18694度 東経112.86333度 / 39.18694; 112.86333座標: 北緯39度11分13秒 東経112度51分48秒 / 北緯39.18694度 東経112.86333度 / 39.18694; 112.86333
雁門関の位置(中華人民共和国内)
雁門関
プロジェクト 地形
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雁門関と鎮辺祠

歴史

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雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時代末期に、の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴鮮卑南北朝時代からにかけては突厥回鶻ウイグル)、沙陀五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされる。

雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。元代に至って雁門関は廃止されるが、の洪武7年(1374年)に、吉安侯陸仲亨の手で修復され、やや東の位置に移された。以降、明代には瓦剌(オイラト)や韃靼(タタール)の侵入に対する上での、長城上の要衝として重視されるようになり、寧武関、偏頭関と共に外三関と呼ばれるようになった。

脚注

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  1. ^ 山西省忻州市雁门关景区”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国文化観光部 (2021年7月22日). 2023年2月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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