金沢松右衛門
金沢 松右衛門(金澤、かなざわ まつえもん、1850年5月3日(嘉永3年3月22日[1])- 1924年(大正13年)9月18日[2])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・平治[1]。
経歴
編集先代金沢松右衛門の二男として出羽国秋田郡土崎湊[注 1](秋田県南秋田郡土崎港町を経て現・秋田市)に生まれる[3]。兄は夭折し、二男である松右衛門が家督を継いだ[3]。1883年(明治16年)以降、南秋田郡学務委員、同郡肴町および連合町会議員、南秋田・河辺両郡連合町村会議員、南秋田郡会議員などを歴任する[2]。
のち、秋田県多額納税者として補欠選挙[4]で貴族院議員に互選され、1892年(明治25年)6月29日[5]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『秋田人名大事典(第二版)』168頁では下新城青崎(青崎村)。
出典
編集参考文献
編集- 渡辺真英『秋田県管内名士列伝 : 国会準備』北辰堂、1890年 。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。