金 孝錫(キム・ヒョソク、朝鮮語: 김효석/金孝錫1894年[1]または1895年12月19日 - 1966年4月15日[2])は、大韓民国政治家。初代韓国国会議員。第3代内務部(現・行政安全部)長官。

金 孝錫
各種表記
ハングル 김효석
漢字 金孝錫
発音: キム・ヒョソク
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経歴

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慶尚南道陜川郡出身。明治大学法学部卒。光復前は青年運動に関与し、光復後は韓国民主党の成立に参加し、中央常務執行委員を務めた[3]。その後は大韓独立促成国民会に参加し、農林部長を務めた。1948年の制憲選挙で大韓独立促成国民会の公認で陜川郡から立候補して当選し、制憲国会議員を務めた[3][1]

朝鮮戦争時に北朝鮮拉致され、1956年7月に北朝鮮の在北平和統一促進協議会常務委員を務めた[3][4]。その後北朝鮮で72歳で死去した[5][6]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年1月31日閲覧。
  2. ^ 62기 중 안재홍 이광수 김효석 조헌영...등 좌우 인사 39명 묘소 최초 공개”. web.archive.org (2007年10月6日). 2007年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月14日閲覧。
  3. ^ a b c 김효석(金孝錫)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年1月31日閲覧。
  4. ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、287頁。NDLJP:2973328/203 
  5. ^ 金孝錫氏死亡(김효석씨사망)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1966年4月19日). 2023年1月31日閲覧。
  6. ^ 『統一朝鮮年鑑 1967-68年』統一朝鮮新聞社、1967年8月1日、56頁。NDLJP:3026445/45 

参考文献

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  • 「アジア人物史 第12巻」集英社 2024年