辻宗範

江戸時代中期の茶道家

辻 宗範(つじ そうはん、宝暦8年(1758年) - 天保11年(1840年))は、江戸時代中期の茶道家近江国出身。

略歴

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宝暦8年(1758年)、近江坂田郡国友村(現滋賀県長浜市国友町)に生まれ、幼時から漢学を学び、成人後は小室藩(現長浜市小室町)の茶頭を務めていた冨岡友喜から遠州流茶道の奥義を究めた[1]。小室藩は伏見騒動きより、天明8年(1788年)に改易となり、遠州流茶道も廃れかかっていた。文化6年(1809年)、宗範は江戸に出て、親戚筋であり、小堀遠州流家元である旗本の小堀治左衛門家や小堀権十郎家に身を寄せながら、同じく身を寄せていた後の遠州流8世家元の小堀正優に奥義を再伝授した。遠州流茶道ではこれを「返し伝授」と呼び、遠州流では今なお宗範を「中興の立役者」と称えている[1]。その後、徳川将軍家の茶道師範を務め、晩年は尾張藩から高禄での招聘を受けたが断り、国友で真宗に帰依し、天保11年(1840年)死去した。

茶道を始めとして華道書道礼法和歌俳句南画造園など多方面に才能を発揮し、勝元鈍穴の他多くの門人を育てた。なお、叔父(父の弟)丹治は彫金師の臨川堂充昌、国友藤兵衛一貫斎は甥(姉みわの子)に当たる。

関連書籍

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  • 「辻宗範とその周辺」(宮田良英 1989年)

脚注

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  1. ^ a b 「近江毎夕新聞」「謎の文人 辻宗範の足跡」(2008年11月7日)

外部リンク

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