西沢定吉
日本の衆議院議員
西沢 定吉(にしざわ さだきち、明治4年11月4日[1](1871年12月15日) - 昭和16年(1941年)9月24日[1])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、天童町長。
経歴
編集山形県西村山郡大谷村(現在の朝日町)出身[2]。1890年(明治23年)、宮城農学校(現在の宮城県農業高等学校)を卒業。翌年、専修学校(現在の専修大学)理財科に入学し、1893年(明治26年)に卒業した。
1900年(明治33年)より郡農会議員・県農会議員を務め、1903年(明治36年)には県会議員・東村山郡会議員に選出された。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4期務めた(第10回、第14回、第15回、第17回)。また天童町長も務めた(1916-1917年、1922-1924年、1924-1928年)。
脚注
編集- ^ a b 故西沢定吉位記追賜ノ件
- ^ 『衆議院要覧』
参考文献
編集- 『衆議院要覧(乙) 昭和五年四月』衆議院事務局、1930年。
- 故西沢定吉位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)