衞藤一六
衞藤 一六(えとう いちろく、1870年5月9日(明治3年4月9日)[1] - 1928年(昭和3年)8月2日[2])は、大分県出身の実業家。大分県農工銀行頭取等を歴任した。
略歴
編集1870年(明治3年)、大分県速見郡北由布村(現・由布市)に溝口家の四男として誕生。1891年(明治24年)に衞藤家に養子に入る。1913年(大正2年)、大分県農工銀行に入り、1922年(大正11年)に常務取締役、1926年(大正15年)には頭取を歴任した[3]。また、佐伯土地、大分証券、豊後土地、大分電気工業の取締役も兼任している[4]。さらに、公職としては、大分県農事講習所長、大分市会議員、大分県会議員を務めた[5]。
この間、1925年(大正14年)に大湯線(現在の久大本線)の湯平駅 - 北由布駅(現在の由布院駅)間が開通したが、その際に由布院盆地内を大きくカーブして北由布駅を通る現ルートの実現に力を尽くし、後の由布院発展の礎となった。このルートは、現在も衞藤一六に因んで「一六曲がり」と呼ばれている[6][7]。また、2024年(令和6年)に運行を開始したJR九州の観光列車は、衞藤と麻生観八にちなんで「かんぱち・いちろく」と名付けられている[8][3]。
脚注
編集- ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)え10頁
- ^ 『官報』第541号、1928年10月12日
- ^ a b “特急「かんぱち・いちろく」”. 九州旅客鉄道. 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月20日閲覧。
- ^ “衞藤一六 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2024年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月20日閲覧。
- ^ 新鞍拓生「大正期地方企業役員の政党所属状況 : 大分県の事例」第22巻、大阪経済大学日本経済史研究所、2018年。
- ^ “新特急「かんぱち」「いちろく」 久大線導入、名称決まる”. 大分合同新聞. (2023年10月27日). オリジナルの2024年4月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “一六曲がり”. 佐賀新聞. (2022年9月26日). オリジナルの2022年9月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “来春の観光キャンペーン 博多・別府間走る新特急の名称決まる”. NHK. (2023年10月26日). オリジナルの2023年10月26日時点におけるアーカイブ。