行速丸(こうそくまる/かうそくまる[1])は、日本海軍の運送船[4] (兵部省所管の運輸船[3])。

行速丸
基本情報
建造所 (上海)[1][注釈 1]
運用者 幕府海軍[2]
静岡藩[3]
兵部省[3]
艦種 運送船[4]
建造費 購入金額:75,000ドル[5]
艦歴
竣工 万延元年[1](1860年[5])
就役 慶応2年8月(1866年9月頃)幕府購入[2]
明治3年7月5日(1870年8月1日)静岡藩から献納[3]
その後 明治4年7月22日(1871年9月6日)イギリス人に交付[6][注釈 2]
要目
トン数 390トン[2]
または 約250トン[6][注釈 3]
長さ 162 ft (49.38 m)[2]
または 27間[7](49.09m)
27 ft (8.23 m)[2]
または 4間半[7](8.18m)
深さ 1丈[7](3.03m)
吃水 5 ft (1.52 m)[2]
または 4尺から5尺[7](1.2mから1.5m)
機関 蒸気機関[2]
ボイラー 2基[6]
推進 外輪[2][6]
出力 250名馬力[3][8][注釈 4]
または 170馬力[7]
帆装 2[8]
燃料 150,000[8]
航続距離 燃料消費:30,000斤/日[8]
乗員 35名[8]
その他 船材:[2]
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行速成語で、『左伝』の成公16年の項にある「其行速」(その行くや速やかなり)という句が語源だろうという[9]

船歴

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元は上海[1] [注釈 1]万延元年(1860年)に竣工した木造外輪汽船アメリカ汽船フィンセン[1]、またはフイセン[5] (Fei Seen)[要出典]

慶応2年8月(1866年9月頃)に江戸幕府長崎で(ボートウエンから75,000ドルで[5])購入し行速丸と命名された[2][5]

明治3年4月(1870年5月)に静岡藩から献納の伺いが出され[10]、 同年5月(新暦6月頃)に許可の返答があった[11]。 清水港にいた[10] 行速丸は6月25日(新暦7月23日)品海に到着[12]、 7月5日(新暦8月1日)に兵部省が受領、同省の所管となった[3]。 『海軍省報告書』では明治3年4月(1870年5月頃)に静岡藩から献上されたとしている[13]

9月8日(新暦10月2日)、行速丸は暴風雨に襲われ、を4つ入れ、機関を運転したが錨が切れて第三台場の浅瀬に乗り上げた[14]。 乗員にケガは無かったが[14]、 端舟1隻が流失、右舷の部屋が5箇所破られて室内の品が流失、船体が一部損傷などの被害があった[15]。 引き下ろし作業は10月4日(新暦10月28日)から始められ、11月30日(1871年1月20日)午後3時50分に成功した[16]

明治4年5月の検査では破損や腐食の箇所があり、約8,000で修理を加えても艦の寿命は後5年程度と見積もられた[17]。 同年7月22日(1871年9月6日)[注釈 2]東京丸購入費用(60,000円+飛龍丸飛隼丸行速丸の3隻で80,000円相当[18])の一部としてイギリス人(バッチャル[1])に交付された[6]

船長

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  • 関川伴次郎:明治3年9月3日(1870年9月27日)[19] -

脚注

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注釈

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  1. ^ a b #造船史明治(1973)p.86によるとアメリカで建造。
  2. ^ a b #造船史明治(1973)p.190では明治4年7月12日(1871年8月27日)となっている。
  3. ^ 『日本海軍史 第7巻』によると、排水量250トン、長さ50.6m、幅8.4m、吃水1.7m。
  4. ^ #造船史明治(1973)p.86では誤植で速力欄が250となっている。

出典

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  1. ^ a b c d e f 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32、行速『こうそく かうそく』
  2. ^ a b c d e f g h i j #造船史明治(1973)p.86
  3. ^ a b c d e f #造船史明治(1973)p.190
  4. ^ a b #近世帝国海軍史要(1974)p.884
  5. ^ a b c d e #海軍歴史23船譜(1)画像4
  6. ^ a b c d e #M4公文類纂26/東京丸御買入の件弁官再申出画像9-10、(行速丸)売渡証書
  7. ^ a b c d e #M3公文類纂10/行速船献納伺画像2
  8. ^ a b c d e #M1-M9海軍省報告書画像15-16、明治三年庚午艦船総数表 三
  9. ^ 片桐 2014, p. 195、行速(こうそく)
  10. ^ a b #M3公文類纂10/行速船献納伺画像1
  11. ^ #M3公文類纂10/行速船献納達画像1
  12. ^ #M3公文類纂10/行速船品海着船届画像1
  13. ^ #M1-M9海軍省報告書画像13、明治3年4月。
  14. ^ a b #M3公文類纂10/行速丸破損画像1
  15. ^ #M3公文類纂10/行速丸破損画像3、行速丸御船附属之御品々流失其余破損等箇所書
  16. ^ #M3公文類纂10/行速丸台場脇吹揚の処申出候旨船長より届画像1
  17. ^ #M4公文類纂25/行速外1船修復又は賣拂代等の件造船局答画像1
  18. ^ #M1-M9海軍省報告書画像18、明治4年7月。
  19. ^ #M3公文類纂3/関川伴次郎行速丸船長申付画像1

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 (国立公文書館)
    • 『公文類纂 明治3年 巻3 本省公文 黜陟部/諸達並雑記 9月 関川伴次郎行速丸船長申付』。Ref.C09090048700。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸届 9月 行速丸破損並流失品の義船長より届』。Ref.C09090127300。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸届 12月 行速丸台場脇吹揚の処申出候旨船長より届』。Ref.C09090128500。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸事件留 4月 静岡藩より行速船献納の義弁官へ伺』。Ref.C09090132100。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/弁官往復 5月 行速船献納願の通被聞召候旨静岡藩へ達』。Ref.C09090132400。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸届 6月 行速船品海着船届』。Ref.C09090132600。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻25 本省公文 艦船部/海軍所往復 行速外1船修復又は賣拂代等の件造船局答』。Ref.C09090396800。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻26 本省公文 艦船部/弁官諸達 東京丸御買入の件弁官再申出』。Ref.C09090403800。 
    • 『海軍歴史 巻之23 船譜(1)』。Ref.C10123646500。 (勝海舟『海軍歴史』巻23。)
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 

関連項目

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