藤原 景高(ふじわらの かげたか、生年不詳 - 寿永2年5月11日(1183年6月2日)[1])は、平安時代後期の武士。父は藤原景家。左衛門少尉[2]。
以仁王挙兵の鎮圧に功があり、従五位下を授かった。『吾妻鏡』によると、以仁王を直接討ち取ったとされる[要出典]。寿永2年(1183年)、礪波山において戦死した(倶利伽羅峠の戦い)[3]。
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