若霖
若霖(じゃくりん、1675年(延宝3年) - 1735年11月1日(享保20年9月17日)[1])は、江戸時代前期から中期にかけての浄土真宗本願寺派の僧。第3代能化。
若霖 | |
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1675年 - 1735年 延宝3年 - 享保20年9月17日 | |
法名 | 汝岱 |
号 | 桃渓 |
生地 | 武蔵国金沢 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 本願寺派 |
寺院 | 正崇寺(近江国日野) |
師 | 知空 |
弟子 | 法霖、智暹 |
著作 | 『正信偈文軌』など |
概要
編集武蔵国金沢生まれ。桃渓と号す。西本願寺学林の第2代能化・知空に学ぶ。近江日野の正崇寺に住する。『維摩経』の解釈で師と対立して破門されるが後に許される。1718年(享保3年)から死去する1735年(享保20年)まで第3代能化を務め[2]、学林制約を定めた。弟子に第4代能化の法霖や、明和の法論を起こした智暹がいる。1735年11月1日(享保20年9月17日)、61歳で死去する[1]。
著作
編集- 『正信偈文軌』など