芝山正員
芝山 正員(しばやま まさかず)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永正15年(1518年) |
死没 | 慶長10年5月28日(1605年7月14日) |
別名 | 彦十郎、小兵衛 |
戒名 | 向善 |
墓所 | 向善寺(埼玉県新座市) |
主君 | 井伊直盛、酒井忠尚、徳川家康、秀忠 |
氏族 | 称・宇多源氏流芝山氏 |
父母 | 父:芝山政勝 |
妻 | 小出大和守の娘 |
子 | 正清、正親、正次、正綱 |
生涯
編集最初遠江国の豪族井伊氏に、次いで三河国上村城の酒井忠尚に仕えた。永禄6年(1563年)上村城が徳川氏のものとなるとこれに従い、酒井忠次の指揮下に入って各地を転戦した。ある時、家康の前で敵を討ち取る武功を立てたため、その時に使っていた刀を「老の杖」の名乗りを与えられた。徳川氏の関東移封後の天正19年(1591年)武蔵国内に300石を与えられ、新座郡大和田村に陣屋を置いた。晩年は徳川秀忠付きとなった。長男正清は姉川の戦いで戦死していたため、家督は次男の正親が継承した。