船井哲良
船井 哲良(ふない てつろう[1]、1927年(昭和2年)1月24日[2] - 2017年(平成29年)7月4日[3])は、日本の実業家。船井電機創業者[1]、取締役相談役[3]。
経歴
編集兵庫県神戸市出身[1][2]。1943年、神戸村野工業学校卒業[2]。家業のミシン販売業に従事する[2]。1947年、有限会社東洋ミシン商会に入社する[1]。
1951年、東洋ミシン商会を退社し、個人経営の船井ミシン商会を創業する(翌年に法人組織化)[1]。1959年、船井ミシン商会の社名を船井軽機工業株式会社に変更し、トランジスターラジオの生産を開始する[1]。
1961年、船井軽機工業のトランジスターラジオ部門を分離独立し、船井電機株式会社を設立する[1]。代表取締役社長に就任する[1]。2008年、船井電機会長に就任する[1]。
2000年、財団法人(現・公益財団法人)船井奨学会を設立、理事長に就任する[1]。2001年、財団法人(現・公益財団法人)船井情報科学振興財団を設立、理事長に就任する[1]。2006年、京都大学に「船井哲良記念講堂」及び「船井交流センター」の2施設を寄贈する[1]。
2012年、徳島県三好市に土地(旧船井電機製造子会社工場跡地)を寄贈、京都大学大学院の合宿型研修施設「船哲房」の建設費用を寄附する[1]。2016年、船井電機相談役に就任する[1]。2017年7月4日、肺炎のため90歳で死去[1]。
人物
編集受賞歴
編集家族
編集- 船井家
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “プロフィール Profile”. 船井電機創業者 船井哲良公式WEBサイト. 2024年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第22版 西日本篇』ふ681頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月28日閲覧。
- ^ a b “「偉大なる黒子」船井電機築く 船井哲良氏死去”. 日本経済新聞 (2017年7月5日). 2024年10月28日閲覧。
- ^ “上場申請のための有価証券報告書(Iの部) 第3【株主の状況】” (PDF). 株式会社エフェクター細胞研究所. 2024年10月30日閲覧。
- ^ 『公認大日本商工信用録 昭和11年 九州版』兵庫県39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月28日閲覧。
- ^ a b 『大日本実業商工録 昭和5年版 中国』兵庫県96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月28日閲覧。
- ^ “医療関係の方へ 旭川十条病院”. 日本赤十字社 旭川赤十字病院. 2024年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e “新理事長の選任”. 公益財団法人船井奨学会 (2017年7月29日). 2024年10月28日閲覧。
参考文献
編集- 大日本実業商工会編『大日本実業商工録 昭和5年版 中国』大日本実業商工会、1931年。
- 大日本実業商工会編『公認大日本商工信用録 昭和11年 九州版』大日本実業商工会、1936年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第22版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1962年。