紀元前350年
年
紀元前350年(きげんぜん350ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
---|---|
十年紀 |
前370年代 前360年代 前350年代 前340年代 前330年代 |
年 |
前353年 前352年 前351年 紀元前350年 前349年 前348年 前347年 |
当時は、「ラエナスとスキピオが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元404年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前350年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ペルシア帝国
編集- ペルシアへの反乱の中心であったシドンが、姉妹都市のテュロスやエジプトに支援を求めるが、わずかしか得られなかった。
- ヘカトムノスの次男イドリエウスが、兄マウソロスの未亡人アルテミシア2世の死後、カリアの王座を受け継ぐ。即位の直後、ペルシア王アルタクセルクセス3世の依頼により、イドリエウスは三段櫂船40艘の艦隊を用意し、8000の傭兵隊の軍を集め、アテネの将軍フォキオン指揮下のキプロスに対して派遣した。
ギリシア
編集共和政ローマ
編集アメリカ大陸
編集中国
編集- 秦が咸陽に遷都した。
- 秦が魏と彤(現在の陝西省渭南市華州区付近)で会合した。
- 趙の成侯が死去し、公子碟は太子語と位をめぐって争ったが敗れて、韓に亡命した。太子語は即位して粛侯となった。
- 宋の剔成君が桓公を廃位して、自ら即位した。
科学
編集- アリストテレスが、月食やその他の観測を用いて、球体状の地球を論じる。 また彼は「オルガノン」で論理的な推論について論じた。
- プラトンが、固定した天球上の星が回転しているという宇宙の地動説モデルを提案する。
芸術
編集- プラクシテレスが「クニドスのアプロディーテー」を作る。オリジナルの大理石像を真似た、ローマ時代の2つのよく似た模作の複合が ローマのバチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館のGabinetto delle Maschereに保存されている。
- ハリカルナッソス(現在のトルコのボドルム)のマウソロス霊廟の建設が終わる。これはペルシアのサトラップでありカリアの支配者であるマウソロスの墓であり、妻のアルテミシア2世の指揮のもと建てられた。マウソロス霊廟は、世界の七不思議の一つと見なされ、現在一部がロンドンの大英博物館に保存されている。
- エピダウロスの円形墳墓(トロス)に、コリント式柱頭が作られる。ギリシアのエピダウロスの考古学博物館に保存されている。
誕生
編集→「Category:紀元前350年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前350年没」も参照
脚注
編集注釈
出典