粟田人成
粟田 人成(あわた の ひとなり)は、奈良時代の貴族。官位は従五位下・中務少輔。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下中務少輔 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇→光仁天皇 |
氏族 | 粟田氏 |
経歴
編集天平勝宝6年(754年)従五位下に叙爵し、少納言に任ぜられる。天平宝字5年(761年)従五位上・仁部大輔に叙任され、翌天平宝字7年(763年)には右中弁に任官するなど、藤原仲麻呂政権で要職を務めた。しかし、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱に連座して位階を剥奪される。
光仁朝の宝亀2年(771年)従五位下に復され、越後守に任ぜられる。宝亀7年(776年)には右少弁次いで中務少輔と再び京官を務めている。
官歴
編集『続日本紀』による。