米田東吾
日本の政治家
米田 東吾(よねだ とうご、1915年5月7日[1] - 1996年11月22日[2])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。
米田東吾 よねだ とうご | |
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生年月日 | 1915年5月7日 |
出生地 |
日本 新潟県中蒲原郡小須戸町 (現・新潟県新潟市秋葉区) |
没年月日 | 1996年11月22日(81歳没) |
出身校 | 高等小学校卒業 |
前職 | 郵便局員 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 旧新潟1区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1967年1月29日 - 1983年11月28日 |
経歴
編集新潟県中蒲原郡小須戸町(現・新潟市秋葉区)出身[3]。高等小学校卒。郵便局に入り、1951年全逓新潟本部委員長、全逓信越地区委員長、新潟県労組評議会議長を経て1967年の第31回衆議院議員総選挙で新潟1区から日本社会党公認で立候補して初当選。以来連続6回当選する。国会内では災害対策特別委員長を務めた。1983年の第37回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した(後継者は関山信之)[4]。1987年、勲二等旭日重光章受章[5]。1996年死去。
脚注
編集- ^ 『日本信用紳士録 全国篇 1968年版 59コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1366頁。
- ^ 『国会議員総覧 1967年版 139コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “新潟1区 - 第37回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1983年12月18日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年9月21日閲覧。
- ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊
参考文献
編集- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会 | ||
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先代 川崎寛治 |
衆議院災害対策特別委員長 | 次代 藤田高敏 |