福田源三郎
明治時代から大正時代の郷土史家
福田 源三郎(ふくだ げんざぶろう、安政4年11月22日(1858年1月6日) - 大正10年(1921年)9月7日)は、明治時代から大正時代の郷土史家。菱州と号した。大書『越前人物志』を著し、福井史研究の礎となった[1]。
人物
編集安政4年11月22日(1858年1月6日)、旧福井城下の新片町(現・福井市春山2丁目)に、扇や能装束を手掛ける老舗「高田屋玉雪堂」の福田藤三郎の長男として生まれる[2][1]。家は資産家で、幼少より学問諸芸に親しみ、23歳のとき、橘曙覧の高弟・河津直入に師事し、国学を学ぶ[2][3][1]。また、福井藩儒・伴閑山の下でも学問を修めた[4]。
扇子製造業を営む傍ら、郷土先人の研究を行い、『新田義貞伝』『柴田勝家伝』『由利公正伝』などを著す[2][3]。また、福田の代表的著作に『越前人物志』があり、これは「越前における歴史人物の研究の最初」と評価されている[2]。
大正10年(1921年)、65歳で没した[3]。
越前人物志
編集古代から1909年までに没した福井の歴史的人物630余人を収録した大著で、1910年に刊行された[1]。源三郎は家督を継いだ1885年(明治18年)頃、本書刊行を決めて研究を進めていたが、1902年に起こった市内の火事に巻き込まれて、長年収集してきた資料や草稿の大半を焼失、残った原稿をもとに執筆を再開し、1904年に上京[1]。1909年に大正天皇(当時皇太子)が北陸に行啓したことから、福井出身の東宮侍医・橋本綱常が福井人物伝の献上を計画、同郷の医学博士・土肥慶蔵の推薦と実業家・山本条太郎の資金援助を受け、源三郎が完成させた[1]。
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
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