石川文吾
日本の商学者
石川 文吾(いしかわ ぶんご、1877年(明治10年)1月 - 1946年(昭和21年)11月20日)は、日本の商学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。
人物・経歴
編集東京府出身。海軍省技師などを務めた祖父の石川正員に養われ[1][2]、1897年高等商業学校(現一橋大学)卒業[3]。1899年からベルギー、ドイツ帝国に留学[3]。高等商業学校附属外国語学校(現東京外国語大学)助教授、高等商業学校助教授、同教授を経て[3]、1920年東京商科大学予科主事[4]、明治大学商学部教授[5]。1922年東京商科大学教授兼予科教授、汎太平洋協会商業会議政府代表員、商学博士[3]。1935年社会保険調査会委員[6][7]。1937年叙正三位[8]。1940年教育功労者並徳行者表彰受賞[9]。1941年紀元二千六百年祝典記念章受章[10]。退官後、東京商科大学名誉教授の称号を受けた[11]。1946年、肝臓がんのため死去。享年70[12]。生命保険論、社会保険論、商業英語を講じ[13]、保険学研究は大林良一に引き継がれた[14]。
親族
編集妻のハナは利根発電社長などを歴任した笠井愛次郎の養子[3]。石川剛元第一高等学校教授は弟[3]。小川織三初代東京市水道局長は義弟[3]。
著書
編集- 『保險 : 完』明治大學出版部 1885年
- 『商業綱要』同文館 1904年
- 『商業學講義要領 : 通論及賣買』大倉書店 1904年
- 『商業綱要 訂正増補』同文館 1905年
- 『賣買論』大倉書店 1906年
- 『商業綱要 7版』同文館 1906年
- 『賣買論訂正第3版 』大倉書店 1907年
- 『保險』1907年
- 『商業英作文講義 第1巻;第2巻』大倉書店 1908年
- 『賣買論 5版』大倉書店 1909年
- 『保險』早稲田大学出版部 1909年
- 『商業通論』大倉書店 1910年
- 『商業通論』江南高中兩商業學堂 1911年
- 『賣買論 訂正増補』大倉書店 1913年
- 『賣買論 訂正第6版』大倉書店 1913年
- 『商業通論 第4版』大倉書店 1913年
- 『商業十二講 改訂』大倉書店 1915年
- 『賣買論 訂正増補第7版』 大倉書店 1916年
- 『取引所 第二巻 改訂版』大倉書店 1920年
- 『商業通論 増補改訂』大倉書店 1924年
- 『生命保險』清水書店 1925年
- 『商業十二講』清水書店 1926年
- 『商事要項 上巻;下巻』清水書店 1927年
- 『生命保険 訂正3版』清水書店 1929年
- 『商業通論』早稲田大学出版部
- 『商業通論』早稲田大学出版部
- 『生命保險論』東京高等商業学会
- 『賣買』早稲田大学出版部
- 『汎太平洋協會商業會議』
- 『和英商業文 卷之1』明治大學出版部
- 『和英商業文 卷之1』明治大學出版部
- 『和英商業文 卷之2』明治大學出版部
脚注
編集- ^ 本現今人名辞典 訂正3版
- ^ 改正官員録明治21年甲7月
- ^ a b c d e f g 石川文吾 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 東京商科大学一覧 昭和17年度
- ^ 明治大学六十年史
- ^ 官報 1935年07月29日
- ^ 国民健康保険法案の構想にかんする研究 : 1937年秋に国保問題を採り上げた三つの団体を中心に
- ^ 官報 1937年04月22日
- ^ 官報 1940年12月23日
- ^ 官報 1941年10月23日
- ^ 毎日年鑑 昭和14年 日本人名選
- ^ 英語青年 = The rising generation 93(2)(1174) 雑誌 (研究社, 1947-03)
- ^ 「英語青年」と商業英語現代英米文化/17 巻 (1987)/書誌
- ^ 一橋学問の伝統と反省 : 保険学(一) 一橋論叢034巻4号 (1955.10)
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