石井良一
日本の実業家、政治家、郷土史研究家
石井 良一(いしい りょういち、1869年10月30日(明治2年9月26日[1])- 1950年(昭和25年)7月8日[1])は、日本の実業家、政治家、郷土史研究家。福岡県若松市長。旧姓・山崎[2][3]。
経歴
編集肥前国杵島郡武雄村下西山(現佐賀県武雄市)で山崎又七の三男として生まれる[2][注 1]。1884年6月、武雄中学校を卒業して九州鉄道に入社[2][3][注 2]。1887年11月、石井宗直の婿養子となり石井に改姓[2][3]。
九州鉄道では福岡、博多、小倉、門司の各駅長、門司運輸事務所長、本社調査係長などを務め[3]、1907年7月、鉄道国有化後に帝国鉄道庁参事となる[1][2][3]。1910年9月、植村俊平大阪市長に迎えられ大阪市主事となり、さらに大阪市電気鉄道部長を務めた[1][2][3]。
1914年から1922年まで福岡県若松市長を務め、この間、武雄に株式会社蓬莱銀行を設立して頭取となった[1][2]。その他、蓬莱商事社長、留萠鉄道専務取締役を務めた[1]。
また、佐賀県史跡名勝天然記念物調査委員、佐賀県中央公民館専門委員などを歴任し、郷土史の研究、文献資料の整理保存に尽力[1][2]。原稿として残されていた『武雄史』を孫の石井義彦(武雄市長)が佐賀県立図書館に寄贈し、1956年に出版された[1][2]。
著作
編集- 『武雄史』石井義彦、1956年。
- 共著
- 山口良吾『武雄名勝』杵島郡教育会、1926年。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 武雄市史編纂委員会編『武雄市史』下巻、武雄市、1973年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。