白井寿昭
日本の競馬評論家
白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は、日本の競馬評論家。日本中央競馬会(JRA)の元調教師。所属は栗東トレーニングセンター。
白井寿昭 | |
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2010年11月撮影 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市[1] |
生年月日 | 1945年1月13日(79歳) |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1978年(1979年開業) |
経歴 | |
所属 |
上田武司/厩務員(1968 - 1973) 上田武司/調教助手(1973 - 開業) 栗東T.C.(開業 - 2015) |
戸籍上の表記は白井 壽昭だが、JRAでは旧字体等の登録が認められていない為、「寿昭」に修正して登録、引退後の活動名も修正表記で行う。
経歴
編集広島県呉市生まれ、大阪府育ち[1]。立命館大学経営学部在学中はマンドリンクラブに所属していた。大学卒業後、1968年に京都・上田武司厩舎で厩務員となる。1973年には同厩舎の調教助手となり、1978年に調教師免許取得[1]。
初出走は1979年10月6日の中京競馬第9競走のハルカボシで14着、初勝利は1980年3月23日の阪神競馬第8競走のスズカセイコーで、延べ46頭目であった。
2015年2月28日付けで定年により調教師を引退した[2]。
引退後はサンケイスポーツと週刊Gallopで競馬評論家として活動している。
馬の血統論には特にこだわりを持っており、また、管理にあっては馬体重を重要視していた。
調教師成績
編集日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1979年10月6日 | - | ハルカボシ | 14頭 | - | 14着 |
初勝利 | 1980年3月23日 | - | スズカセイコー | - | - | 1着 |
重賞初出走 | 1979年12月16日 | 愛知杯 | サンシュウエース | 10頭 | 8 | 7着 |
重賞初勝利 | 1980年8月24日 | 小倉記念 | スズカシンプウ | 15頭 | 6 | 1着 |
GI初出走 | 1985年11月17日 | マイルCS | コーリンオー | 16頭 | 3 | 12着 |
GI初勝利 | 1995年5月21日 | 優駿牝馬 | ダンスパートナー | 18頭 | 3 | 1着 |
表彰
編集- 調教技術賞(関西)
- 1982年
- 優秀調教師賞(関西)
- 1984年、1985年、1996年 - 1998年、2003年
- 最多賞金獲得調教師 - 1999年
主な管理馬
編集GI級競走優勝馬
編集太字はGI級競走
- ダンスパートナー(1995年優駿牝馬、1996年エリザベス女王杯、京阪杯)
- スペシャルウィーク(1998年東京優駿、弥生賞、京都新聞杯、きさらぎ賞、1999年天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、アメリカジョッキークラブカップ、阪神大賞典)
- アグネスデジタル(1999年全日本3歳優駿、2000年マイルチャンピオンシップ、名古屋優駿、ユニコーンステークス、2001年マイルチャンピオンシップ南部杯・天皇賞(秋)・香港カップ、日本テレビ盃、2002年フェブラリーステークス、2003年安田記念)
- メイショウボーラー(2003年デイリー杯2歳ステークス、小倉2歳ステークス、2005年フェブラリーステークス、ガーネットステークス、根岸ステークス)
- フサイチパンドラ(2006年エリザベス女王杯、2007年札幌記念)
主な厩舎所属者
編集※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
参考文献
編集- 井内利影『調教師白井寿昭G1勝利の方程式』白夜書房、2005年。
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 白井寿昭オフィシャル(スタッフ運営) (@ShiraiOfficial) - X(旧Twitter)