畠山 孝(はたけやま たかし、1916年9月22日[1] - 1998年10月29日[1])は、宮城県議会議長(自由民主党)、唐桑町長。ボート競技(ローイング競技)の選手、指導者。オリンピアン。

来歴

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宮城県本吉郡唐桑町(現・気仙沼市)鮪立生まれ。旧制気仙沼中(現・宮城県気仙沼高等学校)、早稲田第二高等学院(現・早稲田大学高等学院・中学部)を経て1939年早稲田大学商学部を卒業[1]

早大在学中、1936年ベルリンオリンピックのかじ付きフォア(三番手)に出場[1]、敗者復活戦で敗退した。前年の1935年の全日本エイト選手権では七番を漕ぎ優勝した。

大学卒業後も南満州鉄道に勤務の傍ら明治神宮大会に優勝[1]。中学時代は柔道部主将[1]、学院からボートを始める。

大学を卒業後、家業の漁業経営に従事し、漁業関係の役職を歴任。1963年から6年間 旧唐桑町長として町勢の発展に尽力。

その後、1971年から5期20年間 県議会議員として県政に参画。1985年には第22代議長に就任[1]

旧唐桑町名誉町民。1992年勲四等旭日小綬章を受章[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『現代物故者事典1997~1999』469頁。

出典

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  • 『現代物故者事典1997-1999』
  • 『宮城県体育協会史』
  • 『宮城県人物・人材情報リスト』2000

外部リンク

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旧 唐桑町名誉町民