由良貞長
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由良 貞長(ゆら さだなが)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本。由良家6代当主。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝4年(1676年) |
死没 | 享保12年4月29日(1727年6月18日) |
別名 | 源之助、刑部(通称) |
戒名 | 長照院殿空山良義大居士 |
墓所 | 芝二本榎の國昌寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
氏族 | 由良氏 |
父母 | 由良頼繁、柳原資行娘? |
子 | 貞整、福島正森、烏山貞尭 |
略歴
編集延宝4年(1676年)、由良頼繁の長男として誕生。『寛政重修諸家譜』に「母は某氏」とあるが、家伝には「母は柳原権大納言資行卿女」とある。正妻はいない。
元禄15年(1702年)7月21日、家督を継いだ。初め寄合に列す。元禄16年(1703年)3月28日、5代将軍・徳川綱吉に御目見し、宝永7年(1710年)12月23日、表高家となる。
系譜
編集脚注
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