牧野 康澄(まきの やすずみ)は、江戸時代前期の越後国与板藩の世嗣。
2代藩主・牧野康道の長男として誕生。母は水野忠善の娘。幼名は新三郎。
与板藩嫡子として生まれ、延宝8年(1680年)、徳川家綱に初御目見した。しかし、叙任以前の貞享元年(1684年)に早世した。
代わって牧野康重(下野国足利藩主・本庄宗資の五男)が養子に迎えられ、与板藩嫡子となった。