澎湖列島攻略作戦
澎湖列島攻略作戦(ほうこれっとうこうりゃくさくせん、ポンフーれっとうこうりゃくさくせん)は、日清戦争における最後の戦闘であり、講和条約として台湾割譲を目的とした戦闘である。
澎湖列島攻略作戦 | |
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漁翁島の砲台に掲げられた旭日旗 | |
戦争:日清戦争 | |
年月日:1895年(明治28年/光緒21年)3月23日午前6時 - 3月26日 | |
場所:澎湖諸島 | |
結果:大日本帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | 清 |
指導者・指揮官 | |
伊東祐亨 比志島義輝 |
周振邦 |
戦力 | |
歩兵三箇大隊(約3000人) 山砲一箇中隊(6門) 騎兵(5騎) 計 3936人 |
歩兵12営(約6000人) 砲兵2営 海兵12営 計 約 6000人 |
損害 | |
死傷 約20人 | 戦死 約100人 捕虜 55人 |
戦闘前
編集日本側の狙い
編集伊藤博文内閣総理大臣は以前から考えていた台湾割譲を想定し、冬季作戦の一つに「台湾攻略」を大本営に提案した。大本営は、1月13日に台湾攻略の前提として澎湖列島攻略を計画した。日清戦史によると「澎湖島ヲ陥レ、此ノ海軍根拠地ヲ占メ、支那南部ノ残艦隊ヲ討滅シ、戦時禁制品ヲ密輸スル船舶ヲ捕獲セシメン」という内容の作戦だった。
戦闘
編集日本軍の動き
編集大本営によると清軍の戦力は、歩兵12営、砲兵2営、海兵1営が、澎湖列島にいるという情報があり、混成支隊は、歩兵三箇大隊、山砲一箇中隊、騎兵五騎で構成された計3936人で構成された。