澄豪 (鎌倉時代)
澄豪(ちょうごう、正元元年(1259年)- 正平5年/貞和6年1月27日(1350年3月6日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての天台宗の僧。法諱は澄豪、法号は法円。西山上人・伝法和尚と称された。
経歴
編集藤原顕成の子と伝えられ、19歳の時に延暦寺に入って承澄に台密穴太流を学ぶ。徳治2年(1307年)に大阿闍梨に任ぜられ、山城国宝菩提寺・近江国金剛輪寺などを拠点として著述に励み、また恵鎮らに台密穴太流を授けた。後に澄豪の流れは宝菩提寺の所在地より「西山流」と称された。
著書に『三五要決』などがある。
参考文献
編集- 日本仏教人名辞典編纂委員会 編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年 ISBN 978-4-8318-7007-0
- 市古貞次 編『国書人名辞典 3』岩波書店、1996年