渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日[1] - 1989年7月1日)は、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表、球団社長。
大阪市の天満にある万福寺の住職の次男として生まれる[2]。
龍谷大学文学部に進学し、映画監督の松林宗恵とは同期であった[1]。1944年に大学卒業した後に、海軍航空隊に志願し、海軍士官となる[2]。
復員後は、京阪神急行電鉄に入社[2]。
1968年10月にパ・リーグ会長に就任した岡野祐の後任として、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表に就任した[2]。1976年から1978年までは球団社長を務めた[2]。
1989年7月1日に心不全のために死去。享年68歳。