清水克彦 (バレーボール)
日本のバレーボール選手
清水 克彦(しみず かつひこ、1969年10月21日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。日本人男子初のイタリアプロリーグ選手。
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1969年10月21日(55歳) | |||
出身地 | 山梨県塩山市(現甲州市) | |||
ラテン文字 | Katsuhiko Shimizu | |||
身長 | 188cm[1] | |||
体重 | 84kg[1] | |||
選手情報 | ||||
所属 | 福井工業大学 | |||
愛称 | [1] | |||
役職 | コーチ | |||
指高 | 249cm[1] | |||
利き手 | 左 | |||
スパイク | 335cm[1] |
来歴
編集山梨県塩山市(現甲州市)出身[1]。中学卒業後は山梨県より単身で東海大四高校にバレーボール留学し、成田貴志・南由紀夫らと共に春の高校バレーで2年連続決勝進出、1987年の第18回大会では同校史上初めての優勝を果たす。この年の東海大四は総体・国体も制しており、高校三冠を達成。
卒業後は東海大学に進学。4年間レギュラーで関東一部リーグで3度優勝。全日本ジュニア選抜メンバーにも選ばれ世界大会にて準優勝。
1992年、富士フイルムに入社[1]。6年間、富士フイルム・プラネッツでプレーした後、退社。
退職後、イタリアプロリーグのトライアウトに挑戦。イタリアカフエモタ・サレルノチームとプロ契約。日本人男子初のイタリアプロリーグへの挑戦はニュースステーションテレビ朝日・Sports Graphic Number(スポーツ グラフィック ナンバー)文藝春秋にて特集された。
帰国後、日立国分トルメンタで2年間活躍。バレーボール第7回Vリーグで日立国分をV1リーグからVリーグ昇格にも貢献。現役引退後は教員となり、石川県の日本航空第二高校(現 日本航空石川)男子バレーボール部監督となり、鎮西高等学校男子バレーボール部監督を経て[2]、ルーテル学院高校の女子バレーボール部監督を務める[3][4]。
所属チーム
編集- 塩山市立塩山中学校[1]
- 東海大学第四高等学校
- 東海大学
- 富士フイルム・プラネッツ(1992-1998年)
- カフエモタ・サレルノ(1998-1999年)
- 日立国分トルメンタ(1999-2001年)
受賞歴
編集指導歴
編集- 日本航空第二高等学校男子バレーボール部監督
- 鎮西高等学校男子バレーボール部監督
- ルーテル学院高等学校女子バレーボール部監督(2012年-2015年)、男子バレーボール部監督(2015年-2016年)
- 倉敷翠松高等学校女子バレーボール部監督(2016年-2019年)
- 福井工業大学附属福井中学校女子バレーボール部監督(2019年-2022年)
- 福井工業大学男子バレーボール部コーチ(2022年-)